<かながわ未来人>「津波バイオリン」を操る 脳性まひの奏者・式町水晶(しきまち・みずき)さん(23)

2020年6月1日 07時06分
 東日本大震災で被災した木で作られた「津波バイオリン」を操る。音質を決める魂柱(こんちゅう)という小指ほどの部材は、岩手県陸前高田市で津波に耐えた「奇跡の一本松」の枝だった。木の生命力を澄んだ旋律に変え、渾身(こんしん)の弓さばきで感動の波動を広げていく。
 津波バイオリンは復興を願い、千人のバイオリン奏者が弾き継ぐ企画「千の音色でつなぐ絆」のため、世界的な弦楽器修復家の中沢宗幸さんが四台製作した。弾き続けてほしいと、うち一台を専用に貸与された。
 脳性まひのリハビリを目的に四歳からバイオリンを習う。「情熱大陸」を弾く葉加瀬太郎さんの生演奏をみた五歳の時「こういうバイオリニストになりたい」と決意。ほぼ同時期に始めた高齢者施設などでの慰問演奏は数え切れない。
 十二歳の時、受刑者のために作曲した「孤独の戦士」を刑務所で披露。「今度は君のように人のために生きる人生を送りたい」と、更生を誓う受刑者たちの感想文を涙ながらに読んだ。
 自身も孤独だった。都内の普通学級に通った当時、無視や暴力のいじめに苦しむ。中学でも高圧的な担当職員とそりがあわず、精神的に追い込まれていく。
 「なんでこんな体に産んだんだ」「私だって再婚せずに育てたのよ」。感情が爆発して母啓子さん(50)の心を傷つけ、母子で泣き崩れた日もある。大震災はそんな十四歳の時に起きた。
 「何かしたい」と三カ月後から現地で慰問演奏し、幼い男児から「お兄ちゃん、体、大丈夫?」と心配された。「家族や家を失っても障害者の自分を気遣える被災者に比べ、自分には家族がいる。何て小さなことを悩んできたのか」と恥ずかしかった。
 中学卒業後、医師の反対を押し切り、車いす生活をやめた。高校卒業後に始めたボクシングで筋肉がつき、コンサート中も動き回れる体になっていた。
 二〇一八年春、アルバム「孤独の戦士」でメジャーデビュー。同年夏に奇跡の一本松の前で、二枚目のアルバム「希望への道」を楽譜に起こす。心がすさんでいた時、師匠に「音が今、悲しいね」と言われた。「障害を持てたからこそいいこともたくさんあった」と現在は思える。「津波バイオリンの音色は不思議に柔らかく温かくなった」という。(西岡聖雄)
<水晶さんの障害> 小脳が小さい「小脳低形成」という脳性まひ。手に軽度、足に中度の機能障害があり、筋肉が常にこわばる。長く歩けず転びやすい。目の病気で失明する危険も一生背負う。中沢きみ子さんや中西俊博さんら多彩なジャンルの一流奏者に師事し、21歳でプロデビュー。両親は生後間もなく離婚。3年前から小田原市で暮らす。漫画雑誌「BE・LOVE」で連載中の「水晶の響(すいしょうのひびき)」のモデル。

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