杉原千畝の他にも「命のビザ」 ユダヤ難民に日本人外交官 現物見つかる

2020年6月3日 13時53分

在ウラジオストク総領事代理を務めた根井三郎さん=1941年ごろ撮影、宮崎市の「根井三郎を顕彰する会」提供

 第二次世界大戦中、旧ソ連の駐ウラジオストク総領事代理を務めた根井三郎さん(一九〇二〜九二年)が、ナチスドイツの迫害から逃れたユダヤ人難民に発給した日本通過ビザが初めて発見された。根井さんが独断でビザを発給したとの証言記録は二〇一七年にロシアで見つかっており、この調査に携わった大学教授は「証言を裏付ける重要な資料」とみる。ユダヤ人難民を救った「命のビザ」は駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)が有名だが、「根井ビザ」の発見者は「陰の功労者にも光を当ててほしい」と話している。 (高野正憲)

「総領事代理 根井三郎」の署名が入った日本通過ビザ。裏に米国大使館がタイプライターで書いた移民ビザ却下通知書の文字が透ける=北出明さん提供

 ビザは一九四一(昭和十六)年二月二十八日、ポーランド出身の故シモン・コエンタイエルさんと妻、娘の一家三人に発給されたもの。「敦賀・横浜経由『アメリカ』行」と書かれ、根井さんの署名と、在浦潮斯徳(ウラジオストク)総領事代理の印が押されている。「第二一号」と番号が振られ、少なくとも他に二十枚発給されたと推測できる。当時、外務省は行き先国の入国許可がない者へのビザ発給を認めておらず、根井さんが独断で出したとみられる。
 発見者は、ユダヤ人難民に関する著作のあるフリーライター北出明さん(76)=東京都中野区在住。難民の生存者調査をする中で、神戸市の滞留者名簿から一家に注目。新聞記事などから、米国に住むシモンさんの娘フェリシアさん(83)を突き止めた。ビザは一家の歴史を知ろうと調査に協力する孫のキム・ハイドンさん(53)から四月に画像で入手した。

ユダヤ人難民のコエンタイエルさん一家の写真を手に、ビザ発見の経緯を語る北出明さん=福井県敦賀市で

 一家のパスポートや名前が確認できる当時の資料によると、三人は三九年九月にナチスのポーランド侵攻に伴い、リトアニアへ避難。四一年二月にモスクワの米国大使館で移民ビザを申請したが却下され、ウラジオストクへ。当地で根井さんから受けたビザは、米国大使館が出したビザ却下通知書の裏に書かれており、切迫した状況がうかがえる。同年三月に福井県の敦賀港から入国して神戸市に滞留後、中国上海へ出国。戦後、米サンフランシスコに渡った。
 二〇一七年に国士舘大のヤコフ・ジンベルグ教授がロシア側と行った共同研究で、根井さんが本省の許可を得ずに通過ビザをわずかに発給したことを、旧ソ連の外交官に話したとする会談記録がロシアの公文書館で見つかった。ジンベルグ教授は新しい発見なので検証が必要としつつ、「本物と見ている。当時有名だった杉原ビザは偽造品が難民の間で出回っていたが、数が少ないとされる根井ビザは偽造品もないだろう」と語る。
 北出さんは「ユダヤ人難民の救出には杉原さん一人だけでなく、根井さんらいろいろな人物の尽力があった。そこに思いを寄せることが正しい歴史認識につながる」と話している。
     ◇
<ねい・さぶろう> 宮崎市(旧広瀬村)出身の外交官。1921(大正10)年に旧満州の日露協会学校に入学。2期先輩に杉原千畝がいた。40(昭和15)年12月からウラジオストクで勤務。戦後は法務省に移り、名古屋入国管理事務所(現・管理局)の所長を最後に引退した。41年3月、既に杉原ビザによる入国難民の対応に苦慮していた外務省は、根井さんに杉原ビザの再検閲を命じたが、一度発給したビザを覆すことは「国際的信用から考えて面白からず」と反論。難民たちを敦賀行きの船に乗せた。

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