<ふくしまの10年・「消えた障害者」を捜して>(3)避難した人戻ってくる

2020年6月4日 07時12分

2011年4月下旬、原発20キロ圏内は立ち入り禁止となった=南相馬市で

 南相馬市原町区で障害者の生活支援をする「デイさぽーと ぴーなっつ」などを運営するNPO法人から電話がかかってきた。「障害のある人たちが避難しないで残っている。食い物なくなってきてっから、物資運んで」との依頼だった。
 二〇一一年三月十一日の東日本大震災後、郡山市を拠点に活動していたJDF被災地障がい者支援センターふくしま事務局長(当時)の和田庄司さん(63)は驚いた。「南相馬は当然、避難していると思っていたのに…」
 東京電力福島第一原発の二十キロ圏内に避難指示が出ていた。ガソリンや食料の流通もままならず、南相馬市の桜井勝延市長は三月十五日、二十キロ圏外も含め全員避難の方針を打ち出した。集団避難のためのバスも用意された。
 「利用者さんや家族の人たちは『避難したくても引きこもり』『移動手段がない』と当惑していた」。ぴーなっつ施設長の郡信子さん(59)は振り返る。
 施設は震災後、いったんは解散を決めたが、郡さんの携帯には利用者からSOSの電話が次々とかかってきた。三月末には避難した人が戻ってくるようになった。「親戚の家に避難した人が『出てって』と言われた。自閉症の人も戻ってきた。放射能の影響より目先のことで困っていた」
 自閉症の人は、日常生活に独自の手順やこだわりがある場合もあり、それができないと強いストレスとなる。障害によって個別の事情があったが、国は要介護者は三十キロ圏外に避難させるべきだとの姿勢だった。
 ぴーなっつは震災一カ月後の四月十一日に再開。福島県からは「自己責任で」と突き放されたが、南相馬市健康福祉部長の西浦武義さん(68)が「ここでやって。報酬はみるから」と言ってくれた。

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