<ふくしまの10年・「消えた障害者」を捜して>(4)命助けるのが優先

2020年6月5日 07時10分

南相馬市からは一時期6万人が避難した=相馬市で

 障害者の生活支援をする「デイさぽーと ぴーなっつ」(南相馬市原町区)は福島第一原発から二十四キロほどの場所にある。活動を再開することは、要介護者は三十キロ圏外に避難させるとの国の方針に沿うものではなかった。
 しかし避難できなかったり、避難生活に耐えられなかったりして困っている障害者たちが目の前にいる。ぴーなっつからの訴えに、南相馬市の健康福祉部長だった西浦武義さん(68)は腹をくくった。「国が認めなくても市の自主財源でやろう」。国や県の補助が得られない事態となることも一時は覚悟したという。
 二〇一一年三月十五日に南相馬市は全市民避難の方針を打ち出し、新潟県などにバスを出した。人口七万人のうち一時は六万人が避難した。西浦さんは担当者として仕事に追われ「残っている方まで目がいかなかった」。三月下旬、市役所に「食べ物がない」という電話がかかってきて初めて危機的状況を知った。
 もう一つ、西浦さんは市長とも相談しながら大きな決断をすることになる。障害者手帳を持つ人たちの名前や住所が記された名簿の開示だ。
 障害者団体でつくるJDF被災地障がい者支援センターふくしまは自治体に名簿の開示を求めていた。避難所にはいない「消えた障害者」たちを自宅まで捜しにいくためだ。福島県や多くの市町村が個人情報として拒否する中、南相馬市は開示した。
 西浦さんは、第二次世界大戦中に政府の意向に逆らいユダヤ人難民に「命のビザ」を発給した外交官、杉原千畝のことを思い浮かべていたという。三十代の研修でアウシュビッツに行き印象に残っていた。「公務員は前例踏襲、保身に走りがちだが危機的状況では命を助けることが最優先だ」

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