ようこそ!マイホームタウン モーリー・ロバートソン × 御徒町

2019年5月29日 09時00分

今月の街先案内人

今回のゲストはミュージシャンでありタレントであり、国際ジャーナリストでもあるモーリー・ロバートソンさん。2019年度東京新聞の広告キャラクターも務めるモーリーさんに、思い出の街“御徒町”で、その多岐にわたる活動の原点を伺いました。

アメリカと日本の文化の違いに翻弄され続けた少年時代。

 ニューヨーク生まれの広島育ち。東大、ハーバード大学に加え、MIT、スタンフォード大学など、名だたる世界的難関校に軒並み合格した過去をもつモーリーさんは、いったいどんな風景が見えているのか?気になる質問を投げてみました。
そもそも、モーリーさんの肩書は何が主軸なのでしょうか?
「私のキャリアのスタートは、ミュージシャンなんです。その活動の延長線上にジャーナリストがついてきたという感じですね。
 なぜミュージシャンが報道につながるのか?という疑問をもたれる方もいるかもしれませんが、そこには日本とアメリカの文化の違いがあります。
 僕が高校生の頃、日本のミュージシャンは、純粋にファンのことを思い、音楽だけにのめり込んで活動することが許された時代です。

生粋の日本人よりも日本文化に詳しいモーリー氏。インタビューでは、しばしば日本の歴史に脱線することも(笑)。

 1978年の映画「サタデーナイトフィーバー」によって空前のディスコブームが到来。僕も足繁く通っていたのですが、日本では同時に暴走族や非行が問題となった頃です。当然、高校生がディスコに行くのは問題視されます。アメリカでは15〜16歳の男女が手をつないで歩くのは普通のことですけど、日本では不純異性交遊なんていわれる時代ですから。それでもディスコに通っていた僕は、結局その翌年に富山の高校に転校することになりました。
 ところが当時の富山にはディスコがない! 仕方がないのでディスコに似ているであろうという理由から、ライブハウスに足を運びます。
 すると、そこには大手資本のついていない、インディペンデントなパンクバンドなんかがツアーでまわってきていました。パンクですから、愛だの恋だのではなく社会への憤りなんかを歌うわけです。その姿勢に感銘を受けて、自分も音楽の世界で生きていこう!という指針がもてたのは大きなことでしたね。

日本文化とアメリカ文化のどちらにも属しきれないという、マイノリティーだからこそ気づくことも多いそうです。

海外のアーティスト活動は、政治や思想と密に絡み合うもの。

 前述の通り、日本のミュージシャンは音楽だけにのめり込んで活動することを良しとしていましたが、僕がハーバードに進学してみると、アメリカのアーティストは、すべからく社会にコミットしていることに気付かされます。
 当時のレーガン政権は、ビジネス優先の保守派です。それによって貧富の差が大きくなった時代。特に若者への経済的圧迫が大きく、ハーバード大でも、何かと議論が錯綜していました。話題が音楽であっても、そのアーティストのポリシーに関して議論になってしまうんです。いろいろ反論しているうちに、僕もポリティサイズされていました。
 音楽だけでなく、絵画や芸術なんかは、だいたい時代の状況によって生み出されているんです。フランス革命やロシア革命、ナチスなんかに迫害を受けたアーティストってとても多いことからもわかります。
 アメリカひとつとっても、音楽シーンの移り変わりは政治と直結しているんです。 
 比較的緩かったカーター政権時代には、実は一時的に黒人やヒスパニック系の人たちの所得があがっていて、ハーレムやスラムも解消され始めていました。

御徒町は騎乗を許されない下級武士“御徒”が多く住んだことを由来とし、長屋文化が色濃くのこる街なのだそう。

 経済的に余裕ができた黒人の人たちがレコードを購入することができるようになっていたため、音楽シーンのなかでソウル系が盛り上がります。ところが、レーガン政権になったとたんに、迫害されてしまうんです。再び所得が少なくなった黒人はレコードを買う余裕がありません。そこでソウル系のミュージシャンは、白人に買ってもらえるように路線を変更するわけです。その代表がマイケル・ジャクソン。 
 つまり70年台は純粋に黒人の黒人によるソウルが盛り上がり、80年台は黒人による白人向けのソウルが全盛期を迎えるんです。その反面、白人のロックが衰退してしまう。アメリカの音楽史を大雑把にまとめるとこういう流れです。
 何が言いたいのか?というと、音楽は社会的状況によって変化するし、音楽が社会に影響も与えているということなんです。
 なぜそのテーマなのか?なぜその表現方法なのか? その“なぜ?”というものは、当時の社会的背景を知らなければ理解することはできないんです。
 だから僕は音楽のために、社会を学んでいる。その結果が国際ジャーナリストという肩書につながったというわけです。」

アメヤ横丁や宝石の問屋街など、安売りの街として知られるとおり、常に街全体が活気に溢れています。

見た目以上に、様々な人種が入り混じる坩堝(るつぼ)のような街。

モーリーさんにとって“御徒町”とは、どんな街なのでしょうか?
「ココは最近まで8年間ほど住んでいた街なんです。そこで思ったことは、よく見ると多国籍な街だということ。
 住んでいた家の近くの公園で、子どもたちがクリケットをしていたのをよく見かけたんですけど、その子達がインド系、ヒスパニック系、アメリカ系と全然バラバラ。そこは特にインド系の方が多く住んでいるマンションがあったので、そのコミュニティなのでしょう。ところがその地域でお祭りが開かれても、インド系の方をみかけることはあまりありませんでした。つまり、彼らはお祭りに参加することはしないんです。
 そもそも日本は単純労働での就労ビザを出していませんから、日本で働く外国人の多くは資産をもっているか、すごい技能をもった人たち。いわばエリート層の人なんです。
 それを考慮すると、恐らく彼らはあえて目立つような行動をしないのだと思います。周りとの軋轢が生じることに配慮して、意図的に棲み分けをしているのではないかと。とても品行方正な人たちです。
 もともと上野付近はコリアンタウンでもありましたから、アジア系の食材を扱ったお店も少なくありません。そこに新たな外国人コミュニティが形成されはじめていると思います。
 今はお互いの接地面積が少ないため、それに気づく人は少ないかもしれないですけど、なかなか国際色豊かな街なんですよ!」

◇御徒町図鑑 モーリーさんオススメスポット

1)多慶屋
古くから御徒町界隈で営業されている元祖ディスカウントストア。紫色のビルが目印で、本館の付近には家具館やレディース館など多角的に展開しています。ここで買えないものはないのでは?というほど品揃えが凄い。
東京都台東区台東4-33-2(御徒町本店) 03-3835-7777 (1月1日のみ休み)
■関連リンク https://takeya.co.jp/shop
2)井泉 本店
言わずと知れたとんかつの老舗です。お店で食べても美味しいですが、やっぱり井泉といったらカツサンドでしょう!カツサンド片手に上野公園をプラリと回ると、なんとも言えない贅沢な気持ちになれます(笑)。
東京都文京区湯島3-40-3 03-3834-2901
【平日】11:30~20:50 【日・祝】11:30~20:30 (水曜日定休)
3)アメ横センタービル
アメ横センタービルは、上から下まで雑多なお店がぎゅうぎゅう詰め。特に地下の食料品売り場は、地下なのに鮮魚をバンバン売ってるし、アジア系の見たことない食材とかもあってカオスな状態。これぞ御徒町という街を象徴するスポットです。
東京都台東区上野4-7-8 03-3831-0069 (第三水曜日定休)
4)もつ焼き 大統領
昭和25年の創業以来変わらぬ味の馬もつの煮込みが売りです。時代は令和に変わっても、ここだけは昭和の空気が全然薄れていない。昼間から一杯ひっかけにくる人の多いこと。いついっても活気があって、元気を分けてくれるお店です。
東京都台東区上野6-10-14 03-3832-56221 10:00〜00:00 (年中無休)

◇PROFILE
Morley Robertson(モーリー・ロバートソン) 1963年1月12日 生まれ。ニューヨーク州出身。
日米双方の教育を受けた後、1981年に東京大学とハーバード大学に現役合格。1988年ハーバード大学を卒業。卒業制作は音と映像のモンタージュ作品。現在はタレント、ミュージシャンから国際ジャーナリストまで幅広く活躍中。
■ レギュラー
日本テレビ「スッキリ」(木曜 08:00)
NHK総合「所さん!大変ですよ」(木曜 20:15)
フジテレビ「林修のニッポンドリル」(水曜20:00)
関西テレビ「報道ランナー」(月曜16:47)
BSスカパー!「水曜日のニュース・ロバートソン」(水曜 22:00)

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