<ふくしまの10年・「消えた障害者」を捜して>(5)物置に放置され衰弱

2020年6月6日 06時42分

「ここで応援に来た人たちが寝泊まりしました」と説明するぴーなっつの郡信子さん=南相馬市で

 二〇一一年四月末から、南相馬市から開示された障害者手帳保持者の名簿をもとに、訪問活動が始まった。関西や九州などからの障害者団体の人たちも応援に入り、一軒一軒自宅を回って救援物資を手渡した。
 なぜ避難できず、避難先から戻ったのか、だんだん事情が明らかになった。
 「全市民を避難させる方針が出たときに、自衛隊が要援護者の名簿をもとに『どうしますか』と聞いて回っていた。でも残っていた人たちの中には『そんなの回ってきてねえよ』と言う人もいた」。JDF被災地障がい者支援センターふくしまの当時の事務局長、和田庄司さん(63)は話す。
 実は、障害者手帳保持者がすべて要援護者名簿に掲載されているわけではない。事前に希望した人だけだ。「精神(障害)の人は隠してますから。災害時には、あなたの情報を警察や消防、町内会に出しますよと言われれば申請をちゅうちょしてしまう」
 障害者の生活支援にあたる「デイさぽーと ぴーなっつ」(南相馬市原町区)は訪問活動をする人たちの拠点となった。多い時は二十人ほどが寝泊まりし、聞き取りの結果をもとに支援の方法を考える検討会が深夜まで続いた。
 「物資がない人、お金がない人、虐待まがいもあった」。施設長の郡信子さん(59)は振り返る。物置に放置されていた精神障害者の男性は歩けないほど衰弱していたため、病院を探して入院させた。
 ストレスからとみられる自傷行為で体中傷だらけの人もいた。避難所で人を踏んだりして迷惑を掛けたくないと、家から一歩も出なかった視覚障害者もいた。
 いつ避難先から戻ってくるか分からないので留守宅はポストに手紙を入れた。訪問活動は秋まで続いた。

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