ルワンダ民族虐殺 指名手配の「黒幕」25年ごしで逮捕

2020年6月8日 13時54分
 一九九四年に約八十万人が犠牲になったアフリカ東部ルワンダの民族虐殺で、フランス検察は五月、国連の国際法廷が虐殺などに関与した疑いで指名手配していた実業家フェリシアン・カブガ容疑者(84)を、潜伏先のパリ近郊で逮捕した。約二十五年後の逮捕の背景には、容疑者に対するフランスの姿勢の変化が透けて見える。 (パリ支局・竹田佳彦)

フランス・パリ郊外で5月、カブガ容疑者が逮捕された街。近くにはルワンダ人団体の事務所がある=竹田佳彦撮影

 「たとえ虐殺から二十六年たっても罪は問われることを示した」。国際法廷のブラメルツ主任検察官は逮捕を受けて、こう声明を出した。マクロン仏大統領が二〇一九年四月、虐殺容疑者の司法手続きを強化すると表明してから、一年一カ月後のことだった。
 ルワンダでは一九九〇年、多数派フツ主体の政府側と少数派のツチ勢力による内戦が勃発。九四年四月、ハビャリマナ大統領の暗殺をきっかけに虐殺が起きた。政府軍や民兵組織はツチ住民らを組織的に襲撃し、約百日間で八十万人を殺したとされる。
 カブガ容疑者は北部地方出身で、幼いころはヤナギを編んだカゴ売りで生計を立てた。紅茶のプランテーションで働いていた時にハビャリマナ氏と交流。子ども同士の結婚で人脈を広げ、国の貿易を支配する存在になったとされる。
 容疑によると自身が設立したラジオ局で民族の対立感情をあおり、虐殺を扇動した。殺害に使われた大量の山刀を輸入したとの報道もある。七月にツチのルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を制圧する約一カ月前に、スイスへ逃亡した。
 国連が虐殺の責任者を訴追するためルワンダ国際戦犯法廷を設置したのは同年十一月。大量殺人の実行や同計画、扇動容疑などで国際指名手配したのは九七年になってからだった。
 スイスに渡ったカブガ容疑者だが、批判が高まると自らコンゴ(旧ザイール)に去った。その後も豊富な人脈と資金で逃亡を続け、旧宗主国のベルギーやドイツ、ケニアへ。数年前から偽名を使い、フランスで暮らしていたとみられる。
 フランスは、虐殺を巡りルワンダとの関係が揺れてきた。九〇年から軍事支援で政権と密接な関係にあり、虐殺中も国連主導の作戦で部隊を展開。しかし十分な抑止力とならず、後にルワンダ側から政府軍の訓練などで「虐殺に加担した」と非難を受けた。事件時には関与が疑われる人物を何人も国土に受け入れ、事実上逃亡を許した。
 一方でハビャリマナ氏暗殺に絡み、仏裁判所は二〇〇六年にRPF司令官だったカガメ大統領らを告訴した。猛反発したルワンダとの国交は一時断絶。一〇年にサルコジ仏大統領(当時)が内戦時の支援に絡み「判断の誤りがあった」と責任の一端を認めたことで改善に向かった経緯がある。
 虐殺から二十五年を迎えた一九年四月、マクロン仏大統領は内戦時のフランスの対応について、歴史家や人権専門家による調査委員会の設置を表明した。就任以来アフリカへ積極的に関与する姿勢を示しており、歴史の清算による関係の再構築を狙ったとみられる。
 ただ仏国内では、ハビャリマナ氏の妻で、虐殺への関与が疑われるアガートさんが今も暮らす。ルワンダ側が国際指名手配したが、引き渡しに応じていない。
 虐殺被害者団体「IBUKA」ヨーロッパのエチエンヌ・ンサンジマナ代表は逮捕を評価する一方、容疑者を受け入れてきた欧州をこう批判した。「罪を問わないのは被害者への侮辱であり、将来の犯罪を容認するメッセージ。人類への裏切りだ」。カブガ容疑者は今後、仏国内手続きを経て、国際法廷で裁かれる。
<ルワンダ国際戦犯法廷> 国連が1994年11月、虐殺の責任者を訴追するために隣国タンザニア北部の都市アルーシャなどに設置。2015年末の解散までに集団殺害(ジェノサイド)や人道に対する罪で93人を起訴し、虐殺事件後に就任したカンバンダ暫定首相ら計61人に有罪判決を下した。解散後は、国連の「国際残余メカニズム」が捜査を継続している。

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