石坂洋次郎の逆襲 三浦雅士著

2020年3月22日 02時00分

◆女が生き生き蘇る価値

[評]小池昌代(詩人、小説家)

 石坂洋次郎と聞いて思い出すのは、『若い人』という鮮やかな小説だ。若者の多くは知らないかもしれない。今なら、さしずめメンヘラ女子、江波恵子を主人公とする。私は愛読し、多感で魅力的なこの女学生の、芸術感や狂気、その振る舞いに多大な影響を受けたものだ。当時、私は中学生。一九七〇年代の話である。石坂洋次郎は大人気作家だった。なのに今、なぜ忘れられてしまったのか。
 本書はこの作家に新たな光をあて、その価値を現代に生き生きと蘇(よみがえ)らせる。稀(まれ)に見る情熱の書物である。とりわけ熱いのが第一章「誰も彼をわかっていない」。彼=石坂洋次郎すらも、自分自身のことがわかっていないというかのように、著者は作家の無意識に降り立ち、際立つ特徴を劇的に言語化していく。大衆娯楽作家と軽視され、誤解されてきた作家の本質が、めりめり音をたてて現れる。
 石坂は生涯一貫して、主体的でたくましい女を主人公に作品を描いたと著者は指摘する。戦後の話ではない。『若い人』が「三田文学」に発表されたのは昭和八年。この特徴に、著者は本能的な母系制の神話を見、石坂の母校・慶応義塾で教鞭(きょうべん)を執っていた折口信夫(おりくちしのぶ)や柳田國男(やなぎたくにお)の影響を重ねている。さらに石坂が生を受けた北東北の風土が、女性観を育んだという指摘も興味深い。同郷の、著者ならではの気付きである(第五章1「津軽の気質」)。
 当時の左翼主義も共産主義も、あるいは天皇主義も、この主体的で生き生きとした女のまなざしによって、作品の内側から批判されることになった。石坂はまさにフェミニズムの先駆者だと思うが、当時のフェミニストからは一顧だにされなかったという。
 本書の刊行と同時期に、著者の編集で、石坂洋次郎傑作短編選『乳母車/最後の女』が刊行されている。「最後の女」には驚いた。母系制の迫力を体現する、みや子という女傑が登場する。石坂が、結婚制度を超越した、過激で自由な思想を持っていたことがわかる。本書とあわせて読むと、更(さら)に理解が深まるはずだ。
(講談社 ・ 2970円)
1946年生まれ。文芸評論家。著書『身体の零度』『青春の終焉(しゅうえん)』など多数。

◆もう1冊 

三浦雅士編『乳母車/最後の女-石坂洋次郎傑作短編選』(講談社文芸文庫)

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