美術にも造詣深く 白樺派の文豪・志賀直哉 孫が我孫子市白樺文学館に寄贈 油絵、書など200点

2020年6月10日 10時49分

志賀直哉が描いた油絵(我孫子市白樺文学館提供)

 白樺派を代表する文豪で、我孫子市内に居を構えた志賀直哉(一八八三〜一九七一年)が手掛けた油絵や書など、美術品を中心とした資料約二百点が、市白樺文学館に寄贈された。東京都内に住む孫の山田裕さん(69)へ譲られた遺品で、同館の稲村隆学芸員は「白樺派は総合芸術。志賀が美術にも造詣が深かったことを示す貴重な資料」と話す。九日に同館で始まった「志賀直哉展」で、六十点ほどが紹介されている。(堀場達)
 油絵は10号サイズで、深皿に盛られたパイナップル、リンゴなどの果物が描かれ、裏に「昭和二十年一月 前作より写す 世田谷新町にて」の記載がある。
 書は五点で、中国・唐の詩人劉商が友人王永に贈った漢詩が含まれている。志賀が書をしたためた年代は不明だが、稲村さんは「戦後の数年間住んでいた静岡県熱海市で書いたのでは」と推測。小説家・俳人で、総合雑誌「改造」の記者時代、志賀の代表作「暗夜行路」の寄稿を取り付けた滝井孝作が、熱海滞在中の志賀について、書に熱意を傾けていたと著述している点を根拠に挙げる。

生後間もない長女の死を嘆く妻に、志賀が贈ったとされる人形(我孫子市白樺文学館提供)

 志賀は一五〜二三(大正四〜十二)年、我孫子で暮らし、この間に「城の崎にて」「和解」、自身が「小説の神様」と呼ばれるきっかけとなった「小僧の神様」などの作品を発表した。稲村さんは「当時の小説家は現代の芸能人に近い存在で、油絵や書は文化芸術分野について志賀の能力の高さを示している。人間志賀直哉を感じられ、非常に価値がある」と指摘する。
 ほかに、志賀が我孫子で親交を深めた英国人陶芸家のバーナード・リーチ、洋画家の梅原竜三郎、安井曽太郎らの作品、明治〜昭和初期の鉱山学者・実業家で、寄贈者の山田さんの父方の曽祖父に当たる山田直矢の書簡などを展示。
 異彩を放っているのが、高さ約六十センチの人形。志賀は我孫子に暮らしていたころ、生後間もない長女と長男に先立たれた。人形は右襟を上にした「左前」の死に装束姿で、山田家には長女を亡くした際、悲しみに沈む妻を慰めようと、志賀が買い求めてきたと伝わっているという。
 同展は十一月八日まで(八月三日〜九月末日は休館)。新型コロナウイルス対策で当面は入場制限をする。入館料は一般三百円、高校・大学生二百円。問い合わせは同館=電04(7185)2192=へ。
<白樺派> 1910(明治43)年に創刊された同人誌「白樺」を中心に起こった文芸思潮で、理念や作風を共有していた作家、画家らの集まり。小説家では、有島武郎、里見●、画家では中川一政、岸田劉生ら数々の著名人が加わっていた。大正デモクラシーなど当時の世相を背景に、人間の生命を高らかにうたい、理想主義、人道主義的な作品を送り出した。白樺発刊の中心となった志賀や武者小路実篤、思想家の柳宗悦らが住んでいた我孫子は、白樺派の拠点となった。

熱海で幼少時の山田裕さん(左)を抱く在りし日の志賀直哉

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