旅の効用 人はなぜ移動するのか ペール・アンデション著

2020年3月8日 02時00分

◆メディアが伝えぬ物語

[評]岡本啓(詩人)

 どこか遠くへ、でもどこへ行こうか。本屋さんへ行けばガイドブックは溢(あふ)れかえっている。行き先は北半球でも南半球でもほどなく見つかる。けれど、「なぜ私たちは旅をするのだろう?」。この問いかけは残ったままだ。旅人そのひとの内なる景色は明かされない。ただそんな中、この一冊は目的地ではないものを示す。本著は、旅人の生態についてのガイドブックだ。
 著者はスウェーデンで最も著名な旅行誌を八〇年代に立ち上げた。自ら旅をし、数々の旅行記に目を通した知見をもとに、ヒッチハイクから放浪の歴史までを体験と伝聞のパッチワークで綴(つづ)る。
 では著者のおもう旅の効用とは? 「居間でメディアにかじりついていると、あっという間に人間嫌いになってしまう。メディアが伝えるのは悲惨な出来事ばかりだから」「だが旅をしている人は、新聞が日々報じているほど外がひどい状態ではないことを知っている」「そして、自分が住み着いている場所だけがノーマルで安全なところではないことも承知している」。人間と出会い、その話に耳を傾ければ、思い出と物語に迎えられる。なによりもそこにはほほえみがある。
 「二十世紀という時代は、何もかもどんどんスピードアップした時代だった」。ファストフード、チェーン店、世界は互いにどんどん似かよっていく。著者からの批判が胸にせまるのは、旅人である著者自身へと跳ね返るまなざしがあるからだろう。「旅を楽しむためには、母国が幸せな状態にあることが前提である」。公平なその視点は読者が自分なりの思考を深めていく手掛かりになる。そして旅先の見事な記述に誘いだされれば、ここにいながらも、私はもう不思議と、遠いどこかだ。
 「ヒツジの鳴き声が聞こえ、綿と小便のにおいがする。上半身裸で額にバンダナを巻いたやせた男たちが自転車式人力車を停(と)めている」「人力車の連中が吸っているタバコの火は、インドの夜の中で、かみそりのように鋭い光の点のまま。しかし何も恐れる必要はない」
(畔上司(あぜがみ・つかさ)訳、草思社・2420円)
1962年、スウェーデン生まれ。ジャーナリスト、作家。世界を旅して30年。

◆もう1冊 

レベッカ・ソルニット著『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社)

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