評伝 西部邁(にしべ・すすむ) 高澤秀次(しゅうじ)著

2020年3月1日 02時00分

◆自死への怒り 批評へ昇華

[評]大塚英志(えいじ)(まんが原作者)

 西部邁が自死する少し前、交流があったわけでもない彼の雑誌に不意に鼎談(ていだん)相手に呼ばれた。活字になったものから伝わるかはわからぬが、当日、ぼくは希望やら可能性のようなものを脈絡もなく語っている自分に苦笑いした。そういうものを西部が欲しているような気が何故(なぜ)かしたからだ。無論、そんなものは、ぼくの思い込みだ。だが、少しして送られてきた新書に自死の予告としかとれない一文があり慌てた。かと言って、「死んではだめだ」と駆けつける関係でもなかった。書評なら伝わるだろうと思ったが、雑誌のゲラが出た時は自死のニュースが流れた後だった。
 自死の予告をそれ以前から西部が口にしていたことは後で知ったが、何も事情を知らぬ癖にと叱責(しっせき)される覚悟で記せば、そう口にする老人を羽交い締めにしてでも止めるべきだと思いもした。それは今も変わらない。しかし、何より解せなかったのは、言論を生業とする人々の反応で、西部の死を彼の思想との関わりでひどくあっさりと了解する人々が少なからずいたことだ。
 その中で、ただ一人、かつて西部の近くにいて離反もし、その人と思想に直接触れた高澤秀次だけは彼の死に真剣に憤っている。怒っている、と言ってもいい。怒りながら、必死にそれを批評へと昇華させようとしている。資料の精緻な調査や提示は高澤らしいが、しかし、本書を支えるのは何より西部の思想への怒りに満ちた誤読さえ顧みない「読み」である。だから、およそ「批評」らしくない。
 最も本書が批評らしからぬ点は、西部の遺書の残された家族への言及に憤るくだりだ。思想家にとって遺書とて、言葉であり「公」であるはずだが、その文言を「私」としての死者を諫めるというおよそ批評らしからぬ選択をする。だから本書は、高澤の「私」的な憤りから出発するひどく純朴な「批評」である。それが魅力である。
 そして、高澤のように西部の死にちゃんと憤る人がいることに、さしたる縁のあったわけでもないぼくはそれでも、安堵(あんど)する。
(毎日新聞出版 ・ 2200円)
1952年生まれ。文芸評論家。著書『評伝 中上健次』など。

◆もう1冊 

西部邁著『保守の遺言 JAP.COM衰滅の状況』(平凡社新書)

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