<災後>の記憶史 メディアにみる関東大震災・伊勢湾台風 水出幸輝(みずいで・こうき)著

2019年11月24日 02時00分

◆新聞で読み解く災害の認識

[評]木村朗子(さえこ)(津田塾大教授)

 二〇一一年三月十一日の東日本大震災から八年が経過した。あれからいくつもの災害があった。二〇一六年の熊本地震、一八年の北海道胆振東部(いぶりとうぶ)地震。今年の九月には台風15号、翌十月には台風19号で甚大な被害があった。それらに紛れて、東日本大震災の記憶はどんどん薄れているようにもみえるし、被災のたびにあらためて思い起こされているようにも思える。
 こうした災害の記憶について新聞メディアがどのように語ってきたのかを、とくに一九二三年九月一日の関東大震災に焦点を合わせて丹念に追ったのが本書である。関東大震災の記憶は、戦時下に空襲への備えとしての防空訓練にすげ替えられ、大空襲の被害が関東大震災のイメージに近似していたこともあって、戦後には空襲の終了とともにいったんは忘却されたという。
 その後、一九五九年の伊勢湾台風をきっかけとして関東大震災の日が防災の日と定められることになった。これによって一地方の災害が全国的な被災の記憶となっていく。
 しかし台風の被害についての報道は地震に比して軽く、人々の認識においても台風の備えは万全とはいえないという。たしかに防災の日の避難訓練は、地震と火災の発生を仮想して行われてきた。では台風がきたとき、私たちはいったいどのようにしたら被害を逃れることができるのだろう。まるで見当もつかない。伊勢湾台風をきっかけに呼び起こされた関東大震災の記憶が、結果的に台風の被害を忘却させたのだという。
 メディア史研究の博士論文として書かれた本書は、こうした経緯を新聞の記事や社説を通してあぶりだす。例えば<「防災の日」の社説が掲載されるまで、『朝日新聞』は六年、『毎日新聞』は七年、『読売新聞』は三年を要した>といった記述がそこここにある。こんなふうに「記事がない」と書くことは、記事を列挙するよりよほど難しいのである。すべてを丹念に読まなければ「ない」という断言はできないからだ。時間をかけて膨大な資料と向き合ったたいへんな労作である。
(人文書院・4950円)
1990年、名古屋市生まれ。日本学術振興会特別研究員。共著『1990年代論』など。

◆もう1冊 

福間良明著『焦土の記憶-沖縄・広島・長崎に映る戦後』(新曜社)

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