漫画でやりたかったこと 『人生がそんなにも美しいのなら』 作家・荻原浩さん(63) 

2020年6月14日 07時00分

集英社提供=冨永智子撮影

 幅広い作風で知られる直木賞作家が漫画家デビューを果たした。「今までの小説がなければ出してもらえなかったと思うが、本当にうれしい」と率直に喜ぶ。
 実は、制作に意欲があったのは小説よりも漫画が先。大学時代、卒業を控えた際に「会社勤めはしたくない。漫画家になろう」と思い付いた。子どもの頃から絵が得意だったことをよりどころに少年誌の漫画賞を目指した。しかし、鉛筆ではなく、慣れないペンでは思うように描けずに結局、広告制作会社に就職した。
 コピーライターとしての仕事は順調で、三十五歳で独立。「お気楽な、いい仕事」だったが、四十歳を前に「このままでいいのか」と、ふと思ったのが小説を書き始めたきっかけ。
 漫画への再挑戦は、間もなく還暦という時期から。「小説の時とすごく似ている。二十年周期の大台が近づいた際にかかる病みたいなものかな」と苦笑する。
 収録作品は八編。いずれも小説同様、SFやホラー、社会風刺など多彩な要素を取り込んだ。パソコンでのデジタル作業にはなじめず、全て手描き。温かみのあるタッチの人物に、精緻な風景が特徴だ。特にジャングルやトウモロコシ畑など植物の描写にはこだわり、指や手首がつることも。
 表題作は、病室で最期の時を迎えようとしている九十三歳の女性の元を亡くなったはずの妹や恋人らが訪れる。鏡に映る女性の姿は戦時中の若い頃のままだ。現実と非現実が交錯する様子を限られたコマで描き、「自分が漫画でやりたかったことは、こういうことだったんだ」と改めて気付かされた一作となった。
 単行本化に当たって描き下ろした「大河の彼方(かなた)より」は、大学時代に漫画賞に応募しようとして断念した構想が原型で、「遠すぎる場所」から届いた手紙が読者の心を打つ。「祭りのあとの満月の夜の」では、少女の靴や服から表題作とのつながりが垣間見えるなど随所に遊び心も満載。「何度か読み直し、細かい点に気付いてほしい」
 漫画制作を経て「違った心構えで小説が書けるのでは」との期待もあったが、漫画のコマのように無駄を極力省こうと思うあまり、筆が進まない事態に。「迷いが深まったかもしれない」と戸惑いも感じている。
 一方、漫画については「まだ構想がある。もう一、二回は描きたい」と笑った。集英社・一三二〇円。 (清水祐樹)

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