バスケの名門「能代工」が消える? 県内外ファンから惜しむ声続々

2020年6月14日 07時06分
 少子化による公立高校の統合再編で、スポーツ伝統校の名前が消える事例が相次いでいる。高校バスケットボールで全国制覇58回を誇る秋田県立能代工業もその一つで、来春、新たな名前の統合校がスタートする予定だ。日本一の座から10年以上遠ざかってはいるが、バスケ界でのブランド力は絶大。県内外のファンから惜しむ声が出ている。 (石井紀代美)

1979年の全国大会で試合開始を待つ能代工の選手。胸の名前を見ただけで対戦相手は圧倒され「試合前から20点差がついている」と言う人もいた

 「バスケ好きな人はもちろん、そうじゃなくても知っている人が多い。地元の人はその価値を分かっていない。なくすのは本当にもったいない」。バスケ専門誌「月刊バスケットボール」元編集長の島本和彦氏(73)=東京都狛江市在住=はこう語る。
 二〇二一年四月から、能代工は農業科が主の「能代西」と統合することが決まっている。今月始まった県議会で校名変更の条例案が審議され、可決されれば「能代科学技術」という名前に変わる。
 島本氏は新校名案が発表された三月からインターネットで署名活動を展開。五月末までに国内外のバスケファンから計約三千七百筆を集め県議会へ提出した。「『能代工農』など、工夫して『能代工』の三文字を残す名前にしてほしい」
 実業団のトップチームでプレーした経験があるバスケ解説者の中原雄氏(53)は「高校三年間、監督から散々『打倒能代工』と言われ、悩まされ続けた名前。バスケ人なら、自分と能代工をつなぐ何かしらの思い出を持っている。喪失感を抱く人はかなり多い」と話す。
 ただ、ここ数年は能代工に限らず、スポーツ有名校が統合で校名変更する事例が相次いでいる。サッカーで全国優勝十三回の清水商は一三年度から清水桜が丘に、多くのラグビー日本代表選手を輩出した伏見工(全日制)は一六年度から京都工学院に変わった。
 そもそも子どもの数が減っており、統合再編による公立高校の減少は全国的な流れ。文部科学省学校基本統計によると、ピークの一九九〇年度に約四千百八十校あったのが、二〇一八年度には約三千五百六十校に減った。大学への進学志向が高まっていることも影響し、普通科より工業や商業など専門科の減少幅が大きい。
 能代工バスケ部の歴史をつくってきたOBたちはどう思っているのか。県内在住の若手OBは「名前が残るならうれしい。でも、それより気になるのは、勝てなくなってしまったこと。強さを取り戻す方が大事」と強調する。能代工的文脈で「勝つ」は「全国制覇」のこと。確かに、〇七年の五十八勝目を最後に日本一の座から遠ざかっている。
 初代監督の故加藤広志氏=二〇一八年死去=が初優勝に導いたのは一九六七年。激しい守備でボールを奪い、攻撃に転じるまでのスピードを追求。相手チームが態勢を整える前に攻め込む速攻主体の「走るバスケ」を確立した。一方、「バスケ部員である前に一人の高校生、一人の人間だ」と礼儀の重視を部員に求めた。優勝回数を伸ばしても、県の地区大会初戦からレギュラーを試合に出し、どんな相手にも手抜きを許さなかった。
 二代目の加藤三彦氏までは「能代工らしさ」が引き継がれていたが、その後、監督が複数回交代する中で希薄化。別のOBは「強かった時代の伝統が崩壊し、相手に走り負けるチームになっている」と悔しがる。
 現在、西武文理大教授として教壇に立つ加藤氏は「仮に校名が変わっても悲観する必要はないと思う。能代工の本質は名前に宿っているわけでなく、最後の一秒まで勝ちにこだわる姿勢やボールへの執着心、無尽蔵に走り続ける脚力などにある。それらを取り戻すことができれば、名前が変わっても『能代工』はなくならない」と語る。

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