蝶(ちょう)を飼う男 シャルル・バルバラ著

2019年10月6日 02時00分

◆才能、情念がつくる宇宙

[評]小倉孝誠(慶応義塾大教授)

 十九世紀フランスは、数多くの小説家、詩人、劇作家が輩出した文学の黄金時代だった。有名作家のほかにも、日本ではあまり知られていないものの、独自の作品宇宙を創出した作家たちがいる。ボードレールの親友だったバルバラもその一人で、本書はその短篇集である。
 「ある名演奏家(ヴィルテュオーゾ)の生涯の素描(エスキス)」の主人公でヴァイオリン奏者のフェレは、才能に恵まれながらも、周囲との人間関係に苦労する。ようやく世間に認められた頃、イタリア人の天才ヴァイオリン奏者(パガニーニがモデル)の出現によって名声を失う。「ロマンゾフ」は、施しをして貧しい人々を救済する男が、じつは贋金(にせがね)造りだったという話。
 「蝶を飼う男」は、自室で世界中の三千匹の蝶を飼育しながら暮らす人間の喜びと不安を語る。それぞれ天才的な芸術家の悲劇を語る文学、推理小説の系譜、そして人工楽園のテーマに連なる作品である。その意味で近代文学の重要な側面を映しだす。
 「ウィティントン少佐」では、セーヌ河畔の屋敷に住む主人公が科学技術を活用して自動人形を作り、その人形にバレエを上演させ、庭に蒸気機関車を走らせ、電信システムで世界中の情報を入手する。彼はみずからを全能の神になぞらえ、次のように言い放つ。この屋敷は「一つの宇宙を包含しています。そして私がその創造者だと言っていいのです」。未来のユートピアを紡ぐ短篇である。
 異なるテーマを扱う、これら多様な物語に共通しているものは何か。それは、激しい情念にとらわれた主人公が世間から孤立し、閉じた密室空間で暮らすということだ。音楽や発明の才能を具(そな)えながら、それを正当に評価されないため、彼らは鬱屈(うっくつ)し偏執狂的な症状を呈していく。
 作者がこの短篇集を捧(ささ)げたバイヤルジェは、当時躁うつ病の研究で著名な精神医学者だった。純粋な人間が世間で生きていくことの困難を語っている点で、現代の世相に通じるものがある。彫琢(ちょうたく)された訳文が、作品世界の香りをよく伝えてくれる。
(亀谷乃里(かめやのり)訳、国書刊行会・2970円)
1817~66年。フランスの作家。著書『赤い橋の殺人』など。

◆もう1冊 

ボードレール詩集『悪の華(改版)』(新潮文庫)。堀口大學訳。

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