世界の書店を旅する ホルヘ・カリオン著

2019年8月18日 02時00分

◆本屋の意味を問いかける

[評]岡本啓(詩人)

 駅を降りて路地を曲がる。重い扉がしまると、すっと喧騒(けんそう)が消える。数坪のお店でも、よい本屋さんには、実際の奥行き以上のなにかがある。歩き回れるスペースはほんのわずかで、天井まで本でいっぱいだとしても。
 「どんな書店にも世界が凝縮されている」と著者はいう。書店では、昨日発行された本と何十年も前から版を重ねる本が同時に手にとれる。読めないはずの言語圏の作家は翻訳されて棚に並ぶ。ここでは「ギリシア演劇」「写真術」「昆虫学とカオス理論」が隣りあう。それが実際の奥行き以上のなにかを空間にもたらす。そっけなく背を向ける本の一冊一冊には未知への行き先が刻印されているのだ。
 本書は、書店をめぐるエッセイだ。スペイン出身の文筆家が世界中に足を運ぶ。書店の成り立ちを、都市や文明に関する洞察をまじえて語りだす。作家についての記述も多い。けれど評伝とはいえない。書店こそが主人公だ。
 活動的な書店にはカフェが併設され、刊行イベントが催され、あるときは出版社や宿泊施設になる。そこで発生し、蜘蛛(くも)の巣のようにひろがる政治と文学のムーブメントを著者の言葉はとらえる。観念的に記述されがちな文学運動も、細かな売買の集積場所を起点とするため実地的だ。
 七百五十以上の人名、三百以上の書店、雑誌、出版社が登場する。それゆえ矢継ぎ早にページをめくってしまっては、本書の魅力は半減するだろう。立ち止まり、知らない名を調べ、知識の枝葉を広げていくような読み方、あるいは、読み終えたあとも本棚から参照するような息の長い読み方こそが、この現代において書店の意味を問いかける本書にはふさわしい。
 ぼくは思い出す。異国の書店の扉をあけたときの戸惑いを。いつだったか旅先で休憩しようと思って立ち寄った。ところが馴染(なじ)み深いはずの空間はのっぺりして奥行きがない。そこに並ぶ言語がわからないからだ。ヨーロッパの視点から語られる本書は、あのとき見失った風景のむこうへ探訪をひろげてくれる。
(野中邦子訳、白水社・3456円)
1976年、スペイン生まれ。作家、文芸評論家。本書は16カ国で翻訳されている。

◆もう1冊

ジェーン・マウント著『世界の本好きたちが教えてくれた人生を変えた本と本屋さん』(エクスナレッジ)

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