<ふくしまの10年・牛に罪があるのか>(2)「雪にあたらないで」

2020年6月17日 07時10分

帰還困難区域内にあり、ゲートで封じられた坂本武蔵野園の門=福島県富岡町で(坂本勝利さん提供)

 東日本大震災が起きた二〇一一年三月十一日、坂本勝利(かつとし)さん(82)は農業団体の集まりのため県内の温泉地、磐梯熱海温泉に車で向かっていた。地震発生の午後二時四十六分は高速道路の上。旅館に着くと騒然とした空気で、集まりは中止になり、引き返した。
 自宅に戻ると、家族は無事だったが、倉庫に積み上げた八十俵もの米袋が散乱し、揺れの激しさを物語っていた。
 ほどなく「原発が危ない」といううわさが伝わってきた。自宅の北側約八キロには東京電力福島第一原発、南側約五キロには第二原発がある。
 翌朝、妻と娘夫婦、孫の五人で一台の車に乗り、内陸部の川内村に向かって逃げた。
 道は大渋滞でのろのろとしか進めない。雪が降り始め、阿武隈山地は白く染まった。
 午後三時三十六分、福島第一原発の1号機が水素爆発を起こす。「そういえば海の方角で乾いたパーンという音がするのを車の中で聞いた。あれが爆発の音だったのか」
 通常なら三十分ほどで行ける川内村の体育館に五、六時間もかかって到着すると、避難者でごった返していた。
 おにぎりが配られたが人数分はなく、子どもや女性に回して多くの男性は空腹に耐えた。富岡町の職員が「雪にあたらないでください」と呼び掛けていた。放射能を含む雪に触れないためだが、当時は意味がわからなかった。後に同じ職員がテレビ取材に「パニックを恐れて原発の爆発は隠していた」と答えるのを聞いた。
 当時、政府は放射性物質を含んだ雲が阿武隈山地上空に流れているという情報を公表しなかった。高線量の雲は北側の浪江町津島地区や飯舘村に流れ、川内村は比較的低い汚染ですんだが、「運に恵まれただけでした」と坂本さんは振り返る。
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