<ふくしまの10年・牛に罪があるのか>(3) 生き抜いていた23頭
2020年6月18日 07時18分
川内村に到着した翌日から坂本勝利(かつとし)さん(82)は友人と飼っていた牛に餌をやるため、富岡町の自宅に隠れて通った。だが避難先が川内村から郡山市に移るなどし、家族の生活を守ることにも必死だった。牛は気掛かりだが二週間ほど富岡町に戻れなかった。
そして、ようやく時間をつくって戻ったときのことをはっきりと覚えているという。
農園の入り口で車を止め、牛舎まで足は重かった。二週間も飲まず食わずの牛が生きているはずがないと思ったからだった。だが二百メートルほど先で、何か黒いものが動いているのが見えた。
あわてて駆け寄ると、綱につながれた牛たちが一斉に鳴いた。二十三頭すべてがやせ衰えながらも命をつないでいた。「悪かった」「すまなかった」と涙を流しながら牛たちに水をやり、わら切れを食べさせた。牛は角を坂本さんの背中や尻にすりつけるようにして甘えたという。
「体を触ってくれといっているんだね。どうしてこの牛たちを置き去りにしてしまったかと涙が止まりませんでした」
その後も富岡通いを続けたが四月二十二日、富岡町など福島第一原発二十キロ圏が警戒区域に設定され、住民でも立ち入りは不可となった。
その日、坂本さんはつないだ綱を切り、牛たちを解き放った。
「今日が最後で、次はいつ来られるかわからない。自力で生きてくれ。そんな気持ちでした」。同じように牛を放った畜産家は大勢いた。
しかし、野良牛が民家に入り込んで荒らすなどの事態を問題視した国は五月十二日、被災自治体に牛を殺処分するよう指示を出した。福島県畜産課によると、こうして命を落とした牛は千七百頭に達した。
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