「コロナ以後」語るために 『武器としての「資本論」』 思想史家・政治学者 白井聡さん(42)

2020年5月9日 02時00分

東洋経済新報社提供=梅谷秀司撮影

 「コロナ以前/以後」が語られ始めている。この危機が「より速く、より多く、より大きく」を求めてきた近代資本主義の一帰結であることは間違いない。歴史上、人と物の交流の拡大・増大に伴って感染症爆発が幾度も発生した事実に私たちは向き合わされている。全く同じパターンで、今回の危機は、いわゆるグローバル化がもたらしたものなのだ。
 かつて、ペストの大流行は中世ヨーロッパで人口の大減少をもたらし、封建社会が揺るがされ、近代への扉を開くきっかけとなった。ペストで始まった近代が新型コロナによって終わるのか、まだ誰にもわからない。だが、近代の本質は産業資本主義であり、ゆえに、多くの工場が操業停止し、飛行機が地上に這(は)いつくばっている光景は、確かに「資本主義の終わり」のイメージを私たちに垣間見させている。
 すでにはっきりしたことがひとつある。それは、ここ何十年かの科学技術の発展が宣伝してきたことは嘘(うそ)だった、ということだ。人工知能が人間を超えて文明の発達の主役になるとか、遺伝子工学は生命を自由に操作できるといった話の先に、人間が神になる(ホモ・デウス)という議論すらあったが、ウイルスの働きを理解できず、もちろん制御もできていない私たちは、幸か不幸か神にはなりそうにない。宇宙の果てを征服するよりも私たちの内なる宇宙としての免疫系を解明する方がはるかに急務である。
 こうした夢物語を感染症のように流行させたものは何だったのか。私は資本主義だと思う。すでに多くの自然科学者たちが、今日の科学は人間の幸福増進を大義名分として商品化の可能性によって深く支配されていることを指摘してきた。だから例えば、生物学が医療への応用可能性に従属した結果、生命現象そのものには何の興味も持たない生物学者が大量に現れている、というのだ。「カミになる話」の本質は「カネになる話」であったようだ。
 こうした、科学までもが資本の論理に従属するようになる事態を、カール・マルクスの『資本論』はすでに示唆していた。「包摂」という概念だ。マルクスが没したのは百四十年も前だが、産業資本主義の目覚ましい発展を目の前にして書かれた『資本論』は、私たちの知性と感性、魂までもが資本主義のシステムによって呑(の)み込まれてゆく事態を見通していた。私は『武器としての「資本論」』と題する資本論入門を先月出版した。「コロナ以後」を展望するのに役立つことを願っている。 =寄稿
 東洋経済新報社・一七六〇円。
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 新型コロナウイルス感染防止のため「書く人」では、記者の取材形式に加え、著者の寄稿を随時掲載します。

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