<ふくしまの10年・牛に罪があるのか>(4)被ばく牛と呼ばれ

2020年6月19日 08時22分

出荷制限などの条件付きで原発20キロ圏での牛の飼育継続が認められた=福島県富岡町で(坂本勝利さん提供)

 国からの指示に抗し、家畜の殺処分に同意しない畜産家はいた。坂本勝利(かつとし)さん(82)もそのひとりだった。
 坂本家が富岡町の現在の場所で大規模な農園を始めたのは一九〇三(明治三十六)年ごろだという。スギやヒノキの苗木を育てる事業を主な生業とし、「坂本武蔵野園」と書かれた石柱の門から入ると、まず百年物の杉が立ち並ぶ林がある。林を抜けると四ヘクタールほどの開けた土地があり、震災前には苗木を育てていたという。離れて水田や畑もあり、総面積は約七ヘクタール。中央部に屋敷と牛舎が並ぶ。
 牛の飼育は八十年ほど前に始まったという。「稲わらと牛ふんをすきこんだ堆肥を使って苗木を育てる循環型の農業を目指したのですね」
 三代目の勝利さんの代で、種牛を育て始め、県を代表する種牛として農業振興のポスターで紹介されたりもした。
 坂本さんは、さらに挑戦を続けた。宮崎県から日本一と呼ばれるブランド種牛を十頭買い入れ、福島の牛と交配させたのだ。子牛の生産と肥育は別の畜産家が分業するのが普通だが、一貫して進める新しい畜産の形を求めた。
 挑戦を始めて八年目。やっと軌道に乗りかけたとき、東京電力福島第一原発事故が起きたのだった。
 ブランド種牛は、被ばく牛と呼ばれる事態となった。納得できない坂本さんは「自己責任で飼わせてほしい」と県や町と交渉を続けた。
 福島第一原発二十キロ圏には約三千五百頭の牛がいた。事故で餓死や殺処分が進められたが、数百頭の被ばく牛が生き続けていた。農家の強い要望を受けて二〇一二年四月五日、国の原子力災害対策本部は、「圏外へ持ち出さない」「子孫をつくらない」などを条件に被ばく牛の飼育を認めることになる。
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