偏見を越えて、前に 『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』 写真家・長島有里枝さん(46)

2020年3月8日 02時00分
 一九九〇年代、男社会だった日本の写真界にヒロミックスさん、蜷川実花さんら新進の女性作家が次々現れた。評論家飯沢耕太郎さんは「女の子写真」と名付け、一大ブームとなった。
 その代表格と見なされた一人が、武蔵野美術大在学中の九三年、二十歳でデビューした長島さんだった。「写真家が若い女、というだけのばかばかしいカテゴリーが、まさかこんなに広まるとは」と振り返る。
 修士論文を基にした本書は「当事者から、異議を申し立てます」と宣言する。「女の子写真」論の矛盾や偏見を、自ら検証する。
 「女の子写真」は「半径五メートル以内の被写体」「本能的」「機械が苦手」などの言葉で語られた。未熟な女性がコンパクトカメラの普及で活躍した-という論法だ。だが実際は、女性作家の多くが一眼レフを使い、作風も多様だった。一方、男性写真家への批評に並ぶのは「知的」「熟練」など。
 共通するのは、才能ある女性を称賛するふりをして、「女の子」として劣位に置く姿勢だ。「女性を鑑みずに論じてきた知識人にとって、女性が脅威に見えたからではないでしょうか」
 問題意識は一貫している。デビュー作はヌードを含むセルフポートレートだった。「ヘアヌード」ブームに象徴される「撮るのが男、撮られるのが女」の権力性を問う試みだったが、「現役美大生がヌードに」と興味本位で扱われた。
 二〇一一年、武蔵大大学院に入学。「私たちは『女の子は勉強もスポーツもできなくていい』と言われ、能力を隠して男性の一段下にいることを期待されて育ってきたんです。大学院で学んだ社会学で、私自身がずっと知りたかったことが分かった」
 自身を含む九〇年代の動きを「ガーリーフォト」として世界的な潮流の中に再定義する。「ガーリー(女の子っぽい)」は、同時期の米国などの第三波フェミニズムで、劣ったものではない女性独自の価値を見直したキーワードだ。反論の書だが告発の書ではない。「当時の論者を責めるためではなく、今や未来の若い女性が前に進めるように、という思いで書きました」
 「女性ならではの気配り」など、人間を性別の型にはめる「褒め言葉」は今も世にあふれる。「何が悪いの?」と思う人もいるだろう。写真界に限らず、多くの人の視野を広げてくれる本だ。大福書林・三六三〇円。 (谷岡聖史)

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