画家の眼に敬意込めて 『絵画逍遥(しょうよう)』 国立国際美術館館長・山梨俊夫さん(71)

2020年3月29日 02時00分
 <外はまだ明るく、雨も光を含んでいる。夕暮れが近くなった>
 <文学が言葉をもって世界をまさぐるのと同じように、絵画は線によって世界を見出そうとする最初の言葉になる>
 読み継がれてゆく文学作品のような文章が、とうとうと流れていた。美術の世界に長く身を置く山梨さんが、自ら楽しむためにつづった絵画をめぐる随筆集には、若い日にフランス文学を志し「文学に携わりたい」と願った魂が息づいていた。
 十一編ある冒頭の「雨」という作品には幸田露伴の短編小説が引かれ、「子供の眼(め)と末期(まつご)の眼」という一編は、芥川龍之介や川端康成にインスピレーションを受けた。締めくくりの「憧れの在(あ)り処(か)」には、ボードレールやランボーを読みふけった十代の自身が顔を出している。
 国立美術館の館長であり、全国の美術館団体の役職などもこなす中で「原稿の半分は昼休みや帰りがけの喫茶店で、半分は夜中の自分の部屋で書いた」。東京大文学部を卒業後、祥伝社で編集者をしていた時期もあるが、書くことを仕込まれたのは、この道に入った神奈川県立近代美術館で。美術評論家として知られた館長の故・土方定一(ひじかたていいち)に「学芸員は文章を書けなきゃだめだ」と徹底的にたたき込まれた。多忙でも、少しずつ書き続けることが習慣になり、二〇一六年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した『風景画考I~III』は、原稿用紙約三千枚に五年以上の歳月をかけた。
 <画家は、見ることに特別な視角を開き、特権を得ている>。本書の中で繰り返し語られるのは、美術家の美術家たる視点だ。<日常の眼を覆っている先入主を振り払い><隈(くま)なく対象を渉猟し、空間を測り構造を探る>。特にセザンヌとモネ、アルベルト・ジャコメッティに多くを割いた。モネがなぜルーアンの大聖堂や睡蓮(すいれん)など、同じモチーフを飽くことなく描き続けたのか。極端に細長いジャコメッティの人物像の顔が、なぜ真っ黒な線の集積となったのか。それらが明らかにされてゆく。
 読み進むにつれ、美しく格調ある文章は、彼らへの果てなき尊敬の表れであることが伝わってくる。
 現在も、絵画の中のリアリズムについて執筆中で、学芸員たちには「現代美術叢書(そうしょ)を出そう」とハッパを掛けている。仕事は増えてしまうだろうが、いい上司には違いない。水声社・三三〇〇円。 (矢島智子)

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