<ふくしまの10年・牛に罪があるのか>(5)片道2時間かけて

2020年6月20日 07時06分

自然の草を食べて生き続けた牛たち。冬場はえさの確保に苦労した=福島県富岡町で(坂本勝利さん提供)

 二〇一二年四月、国は福島第一原発二十キロ圏の牛は原則殺処分としながらも、出荷制限などの条件付きで飼育を認めた。だが、実際に被ばく牛を飼い続けるのは大変な苦労を伴った。 
 坂本勝利(かつとし)さん(82)は福島県の川内村、郡山市、大玉村、田村市と避難先を転々とした。一番遠い大玉村から富岡町までは、阿武隈山地を車で越えて二時間の移動だった。
 「それでも牛が心配で毎日通いました」。途中のゲートでは一カ月ごとに更新の一時帰宅許可証の提示が必要だった。ゲートをくぐると防護服やマスクの着用が義務。火気厳禁なので寒い冬でもお茶もわかせない。富岡町を含め二十キロ圏内の放射線量は非常に高く、長時間滞在してよい場所ではなかった。
 
 えさの確保も難題だった。
 当初二十三頭だった坂本さんの牛は事故で命を落とすなどして十三頭に減ったが、冬場は農場内に生える草だけでは牛の旺盛な食欲を満たせなくなった。知り合いをたどって牧草を分けてもらい、それでも足りずに北海道産や外国産の牧草を購入した。えさ代は一冬で一頭につき十万円ほどかかった。
 富岡町は、放れ牛が無人となった民家を荒らすのを警戒していた。野生動物被害の苦情が少なくなかったからだ。このため、農場の全周に柵をめぐらせる必要があった。しかし立ち入り禁止区域内の作業で人を雇うことは難しい。
 やむなく自力でくいを打ち、電線を通す作業をやった。坂本さんは柔道三段の鍛え上げた体の持ち主だが、骨がきしんだ。
 何の経済的利益も生み出さない動物に、なぜ、これほどのお金と労力を費やしたのか。「ただ居ても立ってもいられなかったんですよ」。坂本さんは優しい目で笑った。

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