「国技」と「興行」の間で 『叱られ、愛され、大相撲!』 目白大教授・胎中千鶴(たいなか・ちづる)さん(60)

2019年11月10日 02時00分
 令和初の国賓として五月に来日した米トランプ大統領。東京・両国国技館の大相撲夏場所千秋楽を、升席に置かれたソファに腰掛ける前代未聞のスタイルで観戦した。胎中さんは「GHQ(連合国軍総司令部)へのおもてなしと同様、滑稽に見えましたね」と語る。
 終戦直後の一九四五年十一月開催の本場所で、相撲協会は土俵の直径を従来より約三十センチ拡大した。勝負の決着を遅らせ、進駐軍の兵士らに長時間楽しんでもらおうとの思惑からの配慮だった。力士たちの不興を買い翌場所から元に戻したが、協会の融通無碍(むげ)な体質を象徴する好例と言える。
 両国の「回向(えこう)院」境内に「初代国技館」が誕生してから百十年。「国技」と「興行」の板挟みの中、したたかに生き延びてきた大相撲の歩みを、戦前戦中の台湾や満州、戦地など海外の動向にも目を配りながら、貴重な資料写真とともにたどったのが本書だ。「素晴らしい見せ物の大相撲を、国技というナショナリズムの枠にはめ込むことに疑問を持って書き始めました」と明かす。
 専攻は日本統治下の台湾史。台湾で「相撲体操」を考案して「教育相撲」の普及に尽力した八尾秀雄(やおひでお)という人物の存在を知り、足跡を丹念に追ったことが「相撲全般の歴史に関心を持つ端緒」と言う。本書は八尾や、三〇~四〇年代に活躍した早稲田大出身の「インテリ力士」で「国技」としてのあるべき姿について腐心した笠置山(かさぎやま)など、相撲道を追い求めた有名無名の人物の興味深い実像を浮き彫りにし、さまざまな曲折を経て今日の大相撲があることを活写している。
 「国技」としての相撲の指導と普及に努めるべき立場にありながら、興行収益を優先しているとして、協会は戦後の国会などで批判の的になった。不明朗な茶屋制度、八百長疑惑、暴力、横綱の「品格」…。問題が起きるたびに世間の指弾も浴びてきた。「それでも、われわれの前にあり続けたのが大相撲なのです」
 大相撲は昭和天皇がこよなく愛好。戦時中は海外で慰問巡業も行った。「胸を貸す力士に、兵士たちは喜々としてぶつかっているんです。いかに愛される存在だったかが分かります」
 胎中さんは十五年前から国技館に足を運ぶようになったという。「興行相撲のがさつで野放図な雰囲気がたまりません。まさに心躍るテーマパークです」
 講談社選書メチエ・一九二五円。 (安田信博)

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