告白 岐阜・黒川 満蒙(まんもう)開拓団73年の記録 川恵実(めぐみ)、NHK ETV特集取材班

2020年6月21日 07時00分

◆タブーの歴史、後世に残す意味
[評]秋山千佳(ジャーナリスト)

 「乙女の碑」とだけ刻まれた小さな碑が、岐阜県白川町黒川にある。何のために建てられたかの説明はなかった。地元でも語るのはタブーだったからだ。先の大戦時にこの地から旧満州(中国東北部)へ渡った黒川開拓団で、終戦直後、若い女性たちがソ連兵へ「性の接待」に差し出された歴史があることを「乙女」だった老女が公表するまでは。
 そんな当事者たちの告白を二〇一七年にNHK ETV特集にまとめたディレクターと取材班が、関係者の証言や写真に加え、番組放送後の人々の変化まで記したのがこのフォト・ルポルタージュだ。
 黒川開拓団約六百五十人は、終戦の日を境に、土地や家を奪われていた現地の人々から激しい襲撃を受けはじめる。隣村の開拓団は集団自決。追い込まれた黒川開拓団は、近くに駐留していたソ連兵に警備などを依頼し、見返りとして女性による「接待」を提供することになる。
 白羽の矢が立ったのは、数えで十八歳以上の未婚女性十五人。「嫌だ、嫌だ」と輪になって泣く年下の子を慰めた年長の女性は、妹を守るために多くの接待を引き受けた。別の女性は、接待の現場を「(ソ連兵は)汚いものをさわるみたいに、鉄砲の先で私たちを動かした」「もうただ、お母さん、お母さんって泣くだけ」だったと語る。
 接待に出された四人が性病などで命を落とす一方、団員約四百五十人が帰国できた。だが、身を挺(てい)して同胞を救った女性たちは故郷で差別された。「60年すぎても 消すことのできない かなしい青春」「次に生まれる その時は 平和の国に 産まれたい」。やり場のない思いを綴(つづ)った女性たちの詩に胸を突かれる。
 番組放送後、「乙女の碑」に碑文を付設する動きが二世世代から持ち上がる。奔走する男性は、当事者が減る今だからこそ「後世に伝えることが、我々の世代に課せられた責務」と語る。当事者の息子は、不都合な現実を否定するのは「自分を否定するのと同じこと」と共鳴する。消えかけた史実が残された意味は重く、学ぶべきことが多い。
(かもがわ出版・2750円)
1989年生まれ。NHKディレクター。2015年から3年間岐阜放送局勤務。

◆もう1冊

上野千鶴子他編『戦争と性暴力の比較史へ向けて』(岩波書店)

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