「生きる」をリアルに 『佐藤洋二郎小説選集一 待ち針』 作家・佐藤洋二郎さん(70)

2019年10月27日 02時00分
 一九九一年の『すばる』七月号に掲載された「河口へ」を読んだときの印象は今も鮮やかに残っている。江戸川河口の千葉県浦安の建設現場で働く外国人労働者の姿がじつにリアルに描かれていた。その後『夏至祭』や『イギリス山』『神名火』など、生きることの実感に満ちた作品を次々に刊行してきた佐藤さん。二巻から成る本選集には、文芸誌や同人誌に発表し、単行本には未収録だった中・短篇のすべてが収録される。
 第一巻『待ち針』に入ったのは七六年の「湿地」から九七年の「ホオジロ」までの十篇。「作品の全部が本になるというのはうれしい限りですが、初期の作品は文章が稚拙で恥ずかしい。読み直して最も恥ずかしかったのは『湿地』ですが、熱はあると思います」
 「湿地」は、慶応大の学生だった妹が持っていた『三田文学』の作品募集広告を見て、初めて書いた作品。山陰の故郷の町へ帰ってきた「ぼく」の孤独感と出口のない鬱屈(うっくつ)した感情が濃厚に表れている。「掲載されたのを見て舞い上がり、絶対に作家になるんだと腹を決めたのです。日雇いをしたり売血に行ったりしていましたが、その覚悟はずっと変わりませんでした」
 それから「河口へ」を発表して注目されるまでに十五年。「原稿を出版社に持ち込んでもなかなか載せてもらえず、すっかり“ボツ慣れ”していたのですが、あの一作で全文芸誌の編集長から声がかかり、仕事がいっぱい来るようになったので、びっくりしました」
 筑豊の炭坑町に生まれ、十二歳のときに父が急死。中学・高校時代は母の郷里の島根県で暮らした。中央大を卒業して証券会社に就職したが、三日で退職。その後はさまざまな仕事をしてきた。
 本書の収録作の主人公は、基礎工事の現場やブロイラーの解体工場、パチンコ店などで働く人たち。社会の底辺でしたたかに生きる人びとが多数登場し、人生とは何かを繰り返し問いかける。「物語はフィクションでも、仕事などの細部はすべて体験したことです。おやじが炭坑労働者の手配の仕事をしていたので、浦安の飯場に流れついたときも、何とも思わなかった。そんなこんなで書き始めるのが遅くなりましたが、すべてを肯定し、前向きにやるしかありませんね」
 主に「ホオジロ」以後に発表された十四篇を収める第二巻『カプセル男』は来月一日に発売の予定。
 論創社・二二〇〇円。 (後藤喜一)

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