生きるための「信用」 『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』 立命館大教授・小川さやかさん(41)

2019年9月29日 02時00分
 なんだか怪しげな書名だ。チョンキンマンションとは、香港の目抜き通りにある巨大雑居ビル。安宿や商店が多く入居し、沢木耕太郎の旅行記『深夜特急』にも登場する。「魔窟」とさえ呼ばれるこのビルを舞台に、アフリカのタンザニアから一旗揚げようとやってきた商人やブローカーの姿を描くのが本書だ。
 その「ボス」を自称する小太りの中年男、カラマに出会ったのは三年前の秋。「ちょびっと悪そうだけど、おちゃめでかわいく、一緒にいて面白い。すぐ『この人だな』と思いました」と、小川さんは行動をともにするようになった。
 「難民」として香港に在留するカラマだが、裏では中古車輸出やブローカー業などの地下経済にいそしんでいる。その割に、商談には平気で遅刻し、いつも会員制交流サイト(SNS)にくだらない自撮り動画を投稿して遊んでばかり。
 一見いいかげんなカラマの言動だが、小川さんはそこに隠された巧みな戦略を読み解く。カラマは決して無知ではなく、寄る辺ない者が生きる上で大切なことを「知っている」のだ。
 本書が投げかける重要な問いの一つが「信用」のあり方だ。彼らは虚飾や裏切りが当然の日々を生きながら、見返りを求めずに人を助ける。それを可能にするのは「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という一種の人生観だ。日本でも近年浸透しているインターネット上での個人の信用格付けシステムや、信用度の低い人を事前に排除して成立するシェアリング経済とは、対照的な考え方だ。
 「予測不可能な社会になったとき、信用できる人だけに関係を絞り込むのではなく、貸し借りをなあなあにして、長期的、広範囲に帳尻を合わせる。これはこれで合理的な考え方です」
 愛知県出身。「子どもの頃からひねくれていた。単に遠い場所に行きたくて」と京都大の大学院でアフリカ研究の道に。タンザニアの路上で自ら古着を売り歩き、零細商人の駆け引きの術を描き出した『都市を生きぬくための狡知(こうち)』で二〇一一年のサントリー学芸賞を受賞、一躍注目された。東アフリカに流入するコピー商品をたどり、中国にも調査の場を広げた。
 学術書や潜入ルポとして、あるいは経済エッセーとして。いろいろな読み方ができる一冊だ。
 春秋社・二一六〇円。
 (谷岡聖史)

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