「豚の放牧中止」省令改正案を撤回 農水省「伝染病リスク、根拠欠く」

2020年6月22日 13時47分

放し飼いにした豚の世話をする中嶋千里さん=2016年7月、山梨県韮崎市で(大脇幸一郎さん撮影)

 家畜伝染病の拡大を防ぐため、生産者に「放牧中止」を指示できるようにする農水省の省令改正案が、公表からわずか2カ月で撤回された。生産者が猛反発。「放牧で感染リスクが高まる」という科学的根拠もなく、同省の担当者がそれを認めるドタバタぶり。安心安全の食肉づくりで放牧にこだわってきた生産者は「何のための改正案だったのか」と怒りが収まらない。 (佐藤直子)
 「抗議せず黙っていたら廃業に追い込まれるところだった」。山梨県韮崎市で養豚場「ぶぅふぅうぅ農園」を営む中嶋千里さん(67)は騒動を振り返る。
 中嶋さんの農園は二万五千平方メートルの広さで、約四十年前に開かれた。イノシシなどの野生動物が侵入しないよう周囲に二重の柵を張り、百五十頭の豚を放し飼いにしている。抗生物質を極力使わない。自由に動き回って育つ豚は元気だ。「肉質は柔らかく臭みがない」と中嶋さんは胸を張る。
 農水省は四月半ば、新方針を都道府県知事に通知。中嶋さんは五月半ば、家畜保健衛生所から通告された。「七月一日施行の改正家畜伝染病予防法に基づき飼養衛生管理基準(省令)も見直され、放牧できなくなる」。こんな内容だった。
 基準見直しは豚熱(CSF)の感染拡大がきっかけだった。法律では「大臣指定地域」で牛や豚の放牧をやめさせ、畜舎飼育だけに限る。そして、豚について豚熱の発生した八県と隣接地の二十四都府県を指定地域にしようとしたのだ。
 なぜ、放牧をやめさせようとしたのか。農水省は「野鳥が空からウイルスを運ぶ可能性がある、ワクチン接種しても抗体ができる豚は八割に限られ、養豚業を守るためには畜舎での飼育が必要」と説明する。
 少し疑問がわく。豚熱を野鳥が広げていく。鳥インフルエンザではあるまいし、そんなリスクはどれほどあるのか。農水省が示した見解は「科学的、定量的に示したものはない」(山野淳一・家畜防疫対策室長)だった。
 ちなみに、養豚場は全国に約四千三百あり、うち約百四十が放牧している。豚熱は二〇一八年以降、全国で五十八例が発生し、うち五十六例が畜舎だった。この数字を見ても放牧の感染リスクが高いということはなさそうだ。
 さらに、豚熱の発生地域とその隣接地ではワクチン接種が始まり、感染抑止に効果をみせている。こんな状況なのに、農水省は放牧している生産者の声を聞かず、手続きを進めようとした。当然ながら反対の声が上がった。
 「畜舎飼いはしたくない」と中嶋さんら全国約二十の放牧養豚家が、撤回を求める要望書を農水相に提出。記者会見を開いた。改正案に対して今月十一日までに約二千件のパブリックコメントが寄せられた。農水省によると、大半が「放牧中止に反対する内容」だった。与党側からも批判が出て、農水省は十二日に「放牧中止」を撤回した。
 「放牧こそが実は、未来にまで畜産をつなぐ生産方法ではないか。排除されるのではなく、むしろ保護されるべきものだ」。中嶋さんはそんな思いで放牧に取り組んできた。それだけに、唐突に浮上した「放牧中止」に振り回されたことが納得できない。
 東北大名誉教授の佐藤衆介氏(畜産学)も「豚舎での飼育は経済的効率を優先してのこと。密集しがちで家畜は病気に弱い。放牧は家畜の心理的ストレスも少ない。健康で免疫力が高まっていれば伝染病にもかかりにくい。それに、伝染病の発生を防疫だけで抑えるのは無理がある」と、農水省の対応に疑問を示す。

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