本心<282>

2020年6月27日 07時00分

第九章 本心

 仮想空間と物理的現実との境界を突き破ったのは、ドローンだった。
 実際に準備されたのは、二機だけで、更(さら)に飛ばされたのは、一機だった。つまり、岸谷に渡されたもので、それには、十分に殺傷能力のある量の火薬が積まれていたのだった。……
 僕は、岸谷が本当のところ、どこまでのことを知っていたのかはわからない。報道通り、すべてを真に受け、欺(だま)されていたのか。ゲームのつもりだったのか、それとも、本当に殺意を抱いていたのか。――わからなかった。
 自棄(やけ)を起こしたように「イヤになった。」と語っていた彼の口調には、破滅的な響きがあった。彼は、いつも、どこかもどかしそうな話し方をした。それは、僕に本心を明かしたくて、明かせなかったのか。それとも、ひょっとすると、そもそも本心を語る言葉を、持ち合わせてはいなかったのではあるまいか。ティリとも違って、彼は言葉巧みに見えていたが。――
 それでもともかく、彼は踏み止(とど)まったのだった。何故かはわからない。ゲームじゃないと気づいたからなのか、間違ったことをしていると感じたからか。
 幾つかの記事を読んだ後に、僕は初めて、岸谷に手紙を書いた。
 体調を気遣い、心配しているというだけの内容だった。初公判は、三月の予定だったが、出来ればその前に面会に行きたかった。
 彼が僕に対して、どんな感情を抱いているかはわからない。拒絶されるのでは、という気もした。少なくとも、藤原亮治との面会の日までに、彼からの返事は届かなかった。
      *
 作家の藤原亮治は、世田谷(せたがや)区の砧(きぬた)公園近くにある介護付きの有料老人ホームに一人で入居していた。面会の日は土曜日で、僕は小田急小田原線で祖師ヶ谷大蔵(そしがやおおくら)まで行き、あとは地図を見ながら、民家が建ち並ぶ細い通りを抜けて徒歩で辿(たど)り着いた。
 新宿のデパートの地下で、手土産にゼリーの詰め合わせを買っていた。高齢なので、喉につまらせないもの、硬くないものを考えた。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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※6月23日付紙面掲載

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