申請主義のその先に 早川由紀美・論説委員が聞く

2020年6月22日 07時30分
 現金給付などの行政サービスは申請しないと受け取れません。制度を知らなかったり、使いにくかったりの「壁」は、生活に困窮する人が増えていくコロナ禍ではより深刻な問題となります。「ポスト申請主義を考える会」をつくって活動しているNPO法人OVA代表理事の伊藤次郎さんと、改善の方向性を話し合いました。

国や地方自治体の「申請主義」について語るOVAの伊藤次郎代表理事=東京都新宿区高田馬場で

 早川 一昨年「ポスト申請主義を考える会」を設立されました。インターネットで参加者を募ったミーティングに私も参加させていただきましたが、いろんな人がいましたね。ある自治体の職員は、今の申請主義を改め、福祉サービスの間口を広げるとなれば、財政が立ちゆかなくなるのではないかという問題意識を持っていました。自分のIT関連技術を、改善に役立てたいというデータサイエンティストもいた。いろんな立場、いろんな角度で検討することが可能なテーマなのだと感じました。着目された理由は何だったのですか。
 伊藤 NPO法人OVAでは、インターネット上で自殺に関する検索をした人の画面に、相談窓口の案内が表示されるようにして、支援につなげるゲートキーパー(門番)活動をしています。何らかの事情があって、自分から「助けて」と言えない子どもや若い人たちを、こちらから探しにいくのです。
 相談を受けていると、一週間食べていないとか、生活保護を受けた方がいいのではと思う、生活に困窮した状態にある若い人が、なかなか申請に行こうとしないことがしばしばあります。どうしてなのか、調査をしました。個人の援助要請能力の問題だけではなく、社会の側に問題があるのではないかと考えるようになりました。
 生活保護を受けるのはだめというような社会のスティグマ(負の烙印(らくいん))があって、本人たちはそれを感じて、気持ちにブレーキがかかっている。
 物理的な問題もあります。役所の開庁時間にしか申請できない。交通費もない人には役所が遠いことも障壁となっている。申請主義に反対しているわけではないですが、今、起きている問題を整理して、福祉が向こうから歩いてくるような社会をつくれないかというのが「ポスト申請主義」の趣旨です。
 早川 どういう制度があるのか知らなければ申請できないのも壁の一つですね。生活保護ではいわゆる「水際作戦」で、窓口で申請を断念するよう誘導している自治体もあると聞きます。日本は生活保護制度の対象者の中で実際に利用している割合(捕捉率)が20%程度という推計値もあり先進国の中で低いとされています。ただ、所得以外にも貯蓄額などほかの受給要件があり、統計の数字からだけでは正確にはじき出すことはできません。 
 伊藤 日本の場合、良くも悪くも制度がきめ細かすぎて、条件も多い。縦割り行政の弊害もあり、複数の省庁にまたがって同じような制度があるなどして、制度の数そのものも多い。申請主義の壁によって生じている問題がどのぐらいの規模なのか、国も把握できていないんじゃないでしょうか。
 必要としている人が制度の情報を取得して、そこから選択し、申請するという行為の阻害要因となっているものをなくしていきたい。きちんと情報を届けたり、手続きを簡素化したり、もっと言えば申請という行為をなくしていくことまで考えていった方がいいんじゃないか。申請窓口の拡大、多様化も図っていく必要があります。英国では生活保護の申請用紙が郵便局にあって、郵送で申請することができます。
 そういう意味で、コロナ禍での一律十万円給付の特別定額給付金の支給方法は評価できる部分があると思っています。申請書を全世帯に送るプッシュ型の情報発信をしました。普及に失敗したマイナンバーカードを使ったことなどで混乱を招きましたが、オンライン申請も導入しました。児童手当の上乗せ給付金も、申請を必要とせずに、対象者全員に給付することを基本とし、いらない人に拒否権を与える形にしています。

 <デジタル手続き法> 2019年5月に成立。行政手続きの原則オンライン化を目指す。(1)デジタルで完結(2)一度提出した情報の再提出は不要(3)民間サービスも含め複数の手続きを一度で−を原則とする。本人証明にマイナンバーカードを使用。各省庁で申請書類の書式や電子システムが異なることなどが課題とされる。

 早川 考える会では、スマートフォンで生活保護が申請できるなどデジタル化を以前から提言していました。エストニアのように大半の行政手続きがオンラインで完結する国もあります。日本ではこれまでの取り組みの遅れがコロナ禍で浮き彫りとなりました。
 伊藤 行政手続きのオンライン化を推進するデジタル手続き法が二〇一九年に成立しています。オンライン申請ができれば、役所が遠い人や開庁時間内に行けない人、足が不自由な人も制度が使いやすくなる。地方自治体の情報通信技術(ICT)の基盤整備が進んでいないなど課題は多いですが、感染症対策としてもオンライン化は急速に進めるべきです。
 早川 若いころに読んだジョージ・オーウェルの小説「1984」の衝撃もあって、監視社会への警戒心からマイナンバーカードは今のところ、作っていません。政府はマイナンバーと預貯金口座をひもづける方向で動きだしています。申請の簡素化などに役立てることもできるのでしょうが、国による乱用を防ぐための制度設計と、国と国民の間の信頼関係が前提になると思います。
 伊藤 マイナンバーの情報がどのように管理されて利用されているのか、国民は知る権利がある。国はその部分の透明性を高める必要があるし、国民とのコミュニケーションを深めた方がいいと思います。
 早川 コロナ禍で経済的に困っている人が増えています。生活保護制度を使うことが特殊なことではないと受け止められるようになれば、偏見が薄れる契機になるかもしれません。
 伊藤 最近、相談を受けた人たち何人かを生活保護制度につなげました。一方で、今回のような緊急事態でも、申請をためらっている人が一定数いるはずです。国は偏見を軽減していくための啓発活動に力を入れるべきです。憲法二五条が保障する生存権が偏見によって脅かされているのですから。制度があるだけではだめなんです。生活保護という名称を変えるのも一つの方法です。韓国では二〇〇〇年に、生活保護制度の受給対象を広げ、国民基礎生活保障制度と改めました。
 誰だって生活困窮の危機に陥る可能性はある。困っている人に手を差し伸べ、自分が困ったときには支えてもらう。そこに社会が構成されている意味があります。これからの社会は苦しみを前提に生きていくことになるかもしれません。でも自分はソーシャルワーカーとして苦しみや絶望の中で人が支え合って希望を紡ぎ出していく姿をたくさん見てきました。人とつながって回復していったり、人生の意味を再び見いだしたりする。
 支え合っていくことは人間の生存戦略でもあります。差別や分断からは希望は生まれません。私たちがどういう態度でこの危機に臨むのかが問われているのだと思います。

 <いとう・じろう> 1985年、東京都生まれ。学習院大卒。精神保健福祉士。2014年、NPO法人OVA設立。18年にNPO法人代表理事で社会福祉士の横山北斗さんと「ポスト申請主義を考える会」の活動開始。厚生労働省自殺総合対策の推進に関する有識者会議委員。

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