14歳で強制不妊手術の原告「国は間違ったのに、なぜこんなにつらい判決に」

2020年7月1日 05時50分

旧優生保護法を巡る訴訟で請求が棄却され、記者会見する原告の北三郎さん(仮名、手前)=30日、東京・霞が関の司法記者クラブで


 旧優生保護法下の強制不妊手術を巡る国家賠償請求訴訟で、東京地裁は30日、東京都内の男性(77)の訴えを退けた。中学生のときに無理やり手術を受けさせられてから63年。「国は間違ったことをした。なぜ、こんなにつらい判決を受けなくてはいけないんですか。国に謝ってほしいだけなのに」。小さな背中を震わせた。(小野沢健太)

◆有無を言わさず病院に連れ出される

 本名を名乗れず「北三郎」の仮名で訴訟に臨んだ男性。午後二時すぎ、東京地裁で裁判長が「請求を棄却する」と言い渡すと、ぼうぜんとした表情を浮かべた。
 仙台市で生まれ育った北さん。鮮魚店を営む一家の生活は苦しく、小学6年のときに父から「高校に進学させる金なんかない」と告げられた。「勉強をするのがばからしくなってグレていた」という中学1年のとき、両親によって近くの教護院(現在の児童自立支援施設)に入所させられる。
 入所から1年近くがたった1957年の春、施設の職員から突然、「病院に行こう」と言われた。「どこも悪くない」と拒んだが、有無を言わさず連れ出された。行き先はなぜか産婦人科。何の説明もないまま診察台にうつぶせにさせられ、背骨に注射を打たれた。

◆「子どもができなくなる手術だぞ」

 数カ月後、施設の先輩から衝撃的な言葉を聞かされる。「おまえが受けたのは、子どもができなくなる手術だぞ」
 宮城県青少年問題協議会は当時、「非行少年の大半は知的障害。優生手術を徹底する必要がある」との偏見に満ちた指針を出しており、施設内では複数の不妊手術のうわさが立っていた。まさか自分が―。驚くと同時に、両親と施設を恨んだ。法律に基づいた強制不妊手術だとは思いもよらなかった。
 上京して結婚。妻は親戚の子をあやすたびに、「私も子どもがほしいな」とつぶやいた。「なんで子どもができないの」と親に問い詰められた妻が、悲しそうな表情を見せたときは胸が痛んだ。でも離婚を避けたい思いから、どうしても過去は明かせなかった。

◆泣きながら妻との最後の会話

 ようやく告白できたのは2013年。白血病を患い、医師から「もう助からない」と言われていた妻に、「ずっと隠していた秘密がある」と切り出した。「14歳のとき、子どもができなくなる手術をされたんだ。今まで裏切っていてごめん」。泣きながら頭を下げると、妻は「ごはんだけはしっかり食べるのよ」。それが最後の会話になった。
 北さんは18年1月、強制不妊手術を受けた宮城県の女性が国を相手にした訴訟を仙台地裁に起こしたことで、自分の手術も法律に基づくものだと疑った。同年五月に提訴。2年余りの法廷闘争の末、司法が出した結論は、年月の経過を理由にした門前払いだった。
 「判決を聞いて体が震えた。とてもつらいです。お金ではない。国に謝ってもらいたいんです。それが無理なら元の体に戻してください」。判決後の記者会見で、北さんの悲痛な声が会見場に響いた。

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