東京近郊 気まぐれ 電鉄五日市線に乗って 塔婆と大仏と温泉の日の出町へ

2020年7月8日 12時00分

ローカル線の雰囲気を味わえる五日市線で小旅行


 半日くらいで行き帰りできる近距離の旅が“マイクロツーリズム”なんてキーワードとともに静かなブームになっている。東京の場合、五日市線というのはそういう小さな旅に、格好の鉄道だろう。今回はこのJR五日市線に乗って、観光地としてはあまり知られていない日の出町を巡ろうと思う。

新型コロナウイルス感染症予防のため、今回はマスクを着けての電鉄旅。

 立川駅の1番ホームに集合して、朝9時10分発の武蔵五日市行きに乗車した。僕が子供の頃も、立川の北寄りのホームから焦茶色のクモハ40系とかの古い電車に乗りかえた記憶がある。車窓に米軍基地が広がる西立川を過ぎて、東中神、中神、昭島あたりまでは、軍関係の工場のタンクや倉庫が当時は目についた。いくつもの線路が集合する拝島まではまだ青梅線の領域で、ここから先がいよいよ単独の五日市線となる。小学生の僕が五日市線に乗るのは、だいたい夏の虫採りか秋の栗拾いが目的。虫採りでは五日市の先の養沢の滝のあたりへよく行ったが、栗拾いは西秋留(現・秋川)で降りて、サマーランド(当時はまだできていない)の近くの秋川沿岸の林で栗を拾った思い出がある。拾った栗と五日市線の車体や床の焦茶色が記憶のなかで重なり合っている。
 秋川の駅のあたりまでは随分宅地が増えてきたが、武蔵引田までくると周囲は広大な田園地帯となって畑の所々に栗の木も見える。さらに、車窓のずっと南方にサマーランドの観覧車がぽつんと眺められる。武蔵引田と並ぶローカル駅風情の武蔵増戸を過ぎて、終点の武蔵五日市に到着した。ちなみに、いまの五日市線の車両は中央線と同じ銀にオレンジ帯のデザインだが、ドア脇に開閉の手動ボタンが付いているのがローカル鉄道感を醸し出している。降りる客が少ない駅では、客自らボタンを押してドアを開けよ…という省エネのシステムだが、新型コロナウイルス感染予防のせいなのか、この日はどこもオートでドアが開閉していた。

日の出町に残る昭和の面影


 駅前から福生駅西口行きの西東京バスに乗って、2つ3つ先の大久野中学校で降りる。このあたりは日の出町南端の集落で、ひと昔前まで五日市線の支線が通っていた。

昭和初期から続く藤太軒理容所。板張りの床や、白いタイルで仕上げた水場は、今も美しく保たれている。

 昔からにぎわっていた地域であることを表すように、バス通り(秋川街道)をちょっと横に入ったところに趣きのある洋館づくりの理髪店がある。藤太軒理容所——という屋号からしてグッとくるこの店、創業は昭和3年という。惜しくもこの日は休業日だったが、窓越しに垣間見えるクラシックな理容イスや昔ながらの額縁調の鏡もステキだ。
 ところで、この「藤太とうた」というのは店の創業者の名ではなく、すぐ横にかつて存在した藤太橋という伝説の橋に由来する。いわゆる「平将門の乱」の折、この地で藤原秀郷の軍が将門に立ち向かったことから“田原藤太”という秀郷の別称が根着いたらしい。そんな藤太軒や藤太橋の謂れ書きのある一角の裏手に1970年代初めまで大久野という五日市線の駅が存在したようだ。

江戸時代から林業を営んできた集落


⼤きな蔵があることから江⼾時代からこ の⼟地で商業が盛んだったことが分か る。

 秋川街道の幸神の信号のところを反対(東側)の方へ入っていくと、田なかの農道の先に森が見えてきて、やがて木立ちのなかに立派な蔵を携えた寺のような屋敷が並ぶようになる。この一帯、集落名も羽生だが、大きな家の表札も同じ羽生。「ハブ」と読むこの一族は、古くから林業を営み、墓に立てる塔婆の生産で財を成した家もある。

お盆に向けて塔婆作りは最盛期を迎えていた。

 以前ふらりと立ち寄ってお話を伺ったことのある羽生岳史さんのお屋敷の一角に置かれた、塔婆作りの工場を訪ねた。名刺には、〈塔婆 護摩礼 製造販売元 八代目 羽生文右衛門(羽生岳史)〉と記されているが、江戸の元禄の頃に始まったとされる塔婆作りの家の8代目にあたり、文右衛門という初代の名を代々継承している。
「塔婆はモミの木を使うんですが、そもそも日の出町はモミがよく自生していた土地でしてね。もっともいまは、ドイツやカナダから入ってきた木が主流ですけど」
 巨大な刻みの形の刃物を使って、札型の板の縁に塔婆特有の凹みを入れていく。両側に4つの凹みが刻まれた塔婆のデザインは、墓石の五輪塔のシルエットを表現している、なんてことを初めて知った。
 この塔婆作りの羽生家の先には羽生人形店というのがある。いまはシーズンオフで戸が閉まっているが、五月人形や兜飾り、羽子板などを並べ売りする昔ながらの人形店で、以前訪ねたとき、中曽根総理とレーガン大統領が日の出山荘で会談した折に寄贈された羽子板、というのを見せてもらった。そう、日の出山荘も現在一般公開されているが、今回は行程上立ち寄る余裕がない。
 しかし、この羽生集落の道、路傍に澄んだ小川が流れ、古い屋敷や店があり、おもわず昔の日本唱歌(「夏は来ぬ」とか)を口ずさみたくなるような素晴らしい散歩道だ。

小高い山の上から『鹿野大佛』と街を眺める


 羽生の停留所からバスに乗って、塩沢寳光寺前で降りる。この寳光寺ほうこうじという寺の裏山に2年ほど前、『鹿野ろくや大佛』というなかなか見ごたえのある大佛像が建立された。

麓の入り口から参道を登っていくと鹿野大佛が待っている。

 杉が繁る小高い山の一角を切り開いたようなところに鎮座された大佛は、黒味がかった青銅製で、以前この連載で眺めた東京大仏にもちょっと似ているが、寸法は遥かに大きい。高さ12メートルというのは、鎌倉大仏を1メートル上回るという。
 ところで、このあたりの地名は日の出町平井。鹿野大佛と付けたのは古くから“鹿の湯”という鉱泉地で知られていたのが由来で、大佛へアプローチする谷の小径の傍らにその名残りの小池がある。

中央に見えるのが東京サマーランドの観覧車。

 大佛のすぐ前は見晴らし台のように開けていて、新たに植えこまれたカエデの若木の向こうに南方の低地がよく見える。来るとき車窓越しに眺めたサマーランドの観覧車があり、その手前を走る五日市線の電車も発見した。

機関車バスに乗り最終目的地つるつる温泉へ


 三吉野バス停近くのレストランでランチを取って、(洋食弁当だが中華や和食っぽいオカズも入っていた)、再びバスで幸神まで戻ってきた。ここで目的地最後の「つるつる温泉」へ行くバスに乗りつぐプランだったが、ダイヤが変更になったばかりのようで、1時間近く時間が空いてしまった。では、行程から外していた名所に寄っていくことにしよう。

季節ごとに違った表情を見せる幸神神社のシダレアカシデ。

 幸神さちがみと読む地名は、さっきの藤太橋や大久野駅跡の脇道を少し奥に進んだところにある幸神神社に由来するもので、この社の隅っこにはシダレアカシデというヘビみたくクネクネ屈曲した枝ぶりの奇木が植わっている。たびたび登場する盆栽好きのスタッフ・Tはいろいろな角度からカメラを向けていたが、そんな知る人ぞ知るシダレアカシデの前を通り過ぎて、神社門前の道を平井川に沿うように奥へ進んでいくと、やがて「つるつる温泉」の方へ行く一本道の途中に行きあたる。そのちょっと先、平井川に架かる岩井橋の向こうに建った太平洋マテリアルというセメント工業会社の玄関先に)くだんの五日市線支線の終点・武蔵岩井という駅があった。80年代初めまで貨物駅(セメントの運搬)として機能していたホームの遺構がほんのひと頃まで残されていたけれど、いまは謂れ書きのプレートしかない。

機関車バスはトレーラーを改造して製作したもの。後部の客室には乗務員も乗っている。

 まぁ一応、廃線跡見物などもしたところで、岩井橋の停留所でバスを待っていると、おっ!と目を見張るユニークなバスがやってきた。「つるつる温泉」特注のトレーラー型バスで蒸気機関車の姿を象っていることから「機関車バス」の愛称が付いている。
 客車はあえて使いこんだ木やベルベットで仕立てたレトロ調で、なかなか手が込んでいる。トレーラー型バスは、実際戦後まもない頃の都バスなどで使われた歴史があるが、こういうバスをカーブや勾配のきつい山道で運転するのにはそれなりの技術が要るだろう。15分ほどバスに揺られて(実際けっこう揺れる)、つるつる温泉の玄関の前に到着した。

レストランや土産店も併設されており、ゆったりとした時間を過ごせる、つるつる温泉。

 生涯青春の湯——という、ちょっと口に出していうのは恥ずかしいキャッチフレーズが冠された「つるつる温泉」、泉質は透明の単純性アルカリ泉だが、その名のとおり湯に浸かるとすぐに肌がつるつるした感触になる。帰路のバスが出発するまで約1時間半。カラスの行水派の僕にとっては、もてあますほどの時間だったが、いつもよりゆっくりと湯に浸かって久しぶりの温泉気分を堪能した。
 曇りがちだったこの日、武蔵五日市から帰りの電車に乗る頃には雲が切れて、よく晴れてきた。武蔵増戸から武蔵引田へ向かう間で、そうだ、と思って北方の車窓に目を向けた。あの鹿野大佛の前から南方を眺望したとき五日市線の電車が見えたのだから、こちら側からも大仏が眺められるのではないか…。畑地の彼方の山稜にじっと目を向けてみたが、深い緑の山のなかに黒っぽい大仏を1点見つけるのは難しい。どことなくそれっぽいシルエットを一瞬目にとめたが、すぐに見失ってしまった。

PROFILE

◇泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『夏の迷い子』(中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(三賢社)、『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』(新潮新書)、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)などがある。




◇なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。
https://tsumamu.tumblr.com/

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