<都知事選>首都の顔 巡るドラマ 延べ258人、8回連続も…

2020年7月3日 07時12分
 一九四七年の初選挙から数えて、都知事選は今回で二十一回目となる。これまでも、多彩な経歴の候補者たちがバラエティーに富んだ主張を繰り広げてきた。数々のドラマが生まれた歴史を振り返る。 (浅田晃弘)

1963年4月16日の東京新聞朝刊。「橋本勝」への投票無効の決定を伝える

 都知事選には毎回、たくさんの候補者が名乗りを上げる。史上最多の二十二人が出馬した今回を含め、立候補者が十人以上だったのは十四回を数える。
 何度落ちてもチャレンジし続ける人が少なくない。立候補回数の最多は、銀座・数寄屋橋でのつじ説法で知られた大日本愛国党総裁の赤尾敏さん。五九年から八七年にかけて八回連続で、都知事選に挑んだ。
 二位は、発明家のドクター中松(中松義郎)さんで、立候補回数は七回。現在は港区議のマック赤坂さんは四回。
 今回を含め、都知事選に立候補したのは、延べ二百五十八人。性別をみると、大半が男性だ。女性は今回の三人を含めて延べ十三人しかいない。

初登庁で花束を受け取る猪瀬直樹さん=都庁で

 最多得票は、二〇一二年に当選した猪瀬直樹さんが獲得した四百三十三万票。一九七一年の美濃部亮吉さん再選時の三百六十一万票を四十一年ぶりに上回った。国政選挙を含め、国内の選挙における史上最多得票記録でもある。
 最少得票はなんと、「ゼロ票」だ。東京五輪前年の一九六三年、「橋本勝」なる人物が出馬した。立候補受け付け後、届け出の際に、既に亡くなっていた橋本勝さんの戸籍が使われていたことが判明し、都選管は「投票無効」と決定。そのため、票は無効となり、得票はゼロになった。
 橋本勝さんは、社会党など革新系統一候補の阪本勝さんと氏名が一字違いで、「選挙妨害」との指摘が出た。この年の選挙では、自民党が推す現職の東龍太郎さんが再選を果たしている。
 また、過去の都知事選で投票率が最も高かったのは美濃部さんが再選した七一年の72・36%。最低は、鈴木俊一さんが三選した八七年の43・19%。

◆記録より記憶に 「政治にアート」英語で政見放送

2007年都知事選で登場した黒川紀章さんのガラス張り選挙カー=新宿区で

 得票だけなら惨敗でも、ユニークな選挙運動で記憶に残る候補者たちがいる。
 美濃部亮吉さんと石原慎太郎さんが接戦を繰り広げた一九七五年、「保革の谷間に咲く白百合」のスローガンが話題になった。美術家・秋山祐徳太子さんは赤いランプの点滅するヘルメットをかぶり、ハンドマイクで「政治のポップアート化」を訴えた。
 勝利した美濃部さんは二百六十八万票、次点の石原さんは二百三十三万票。そして、秋山さんは三千百一票。見事な負けっぷりだった。街頭演説の映像や選挙運動の用具、ポスターなどは今、都現代美術館が芸術作品として所蔵する。
 都知事選から生まれたアートは、ほかにも。建築家の黒川紀章さんは二〇〇七年、車内が丸見えのガラス張り選挙カーを走らせ、都政の透明化を訴えた。ガラス張りの選挙カーは一六年の前回都知事選で小池百合子さんが導入し「似ている」と話題になった。
 黒川さんは、知事選の半年後に死去。選挙カーは遺族が「志賀高原ロマン美術館」(長野県)に寄贈し、展示品になったが、老朽化が進んだため廃棄された。黒川さん設計の美術館は数年に一度のペースで開く「黒川紀章展」の際、写真パネルで選挙カーを紹介している。
 ロック歌手の内田裕也さんは一九九一年の政見放送でジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を歌い、英語で演説した。映像はYouTubeで二百万回以上、再生されている。内田さんは、選挙運動の記録映像を編集して映画「魚からダイオキシン!!」を作った。

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