<わけあり記者がいく>コロナ禍で長引いた入院 「内なる名医」の力を実感

2020年7月10日 07時26分

エレベーターホールに向かうと、机が通路を妨げていた=愛知県内で(一部画像処理)

 「退院の日取りどころではなく、三浦は事実上、幽閉状態にあります」
 新型コロナウイルスの猛威が日々明らかになっていった三月、パーキンソン病の悪化で入院していた「わけあり記者」こと、私、三浦耕喜(50)は、所属長宛てにこんなメールを病院から送った。直前、感染防止のため、家族も含め、病棟への出入りを禁じるとの館内放送があったのだ。
 驚いてエレベーターホールへ向かうと、「面会禁止」と張り紙された長机の“バリケード”ができている。どうなっているの? 
 動けるのは病室のあるフロアのみ。一階のカフェでココアを飲みたかったが、看護師さんが「エレベーターにお乗りいただくわけには…」と申し訳なさそうに答えた。
 妻に持ってきてもらっていた着替えや本などの受け渡しも原則、看護師さんを通すことに。「大変だ」と真っ先に走ったのは、病室でテレビを見るプリペイドカードの自販機。いつ病院を出られるか分からず、千円分を買い足した。
 そもそも私が入院したのは今年二月、五十歳の誕生日の翌日。自宅の浴室で転倒し、歩けなくなったことは当欄で報告した(五月二十日)。妻に引きずられるようにして行った病院で、主治医から即入院を告げられた。
 理由は二つある。一つは、私の体の特性や生活リズムを把握し、薬の効果が最も大きくなる服薬のタイミング、薬の種類を見極めることだ。
 私は当時、一日に十一種類二十錠・包の薬を服用。薬にはそれぞれ服薬すべき用量があるが、体重、体質などで効き方は違う。転倒の原因はあまりそれらを考えなかったこと。「調子が悪ければ飲む」を繰り返した結果、過剰摂取気味で十分効かなくなっていた。だから、オーダーメードのように“採寸”し、ぴったりな服薬の在り方を探る。
 ただ、入院しても、特別な治療を施すわけではない。行うのは、ひたすら「規則正しい生活」を送り、決められた時間に薬を飲むことだ。毎日午前六時半に起床、七時に朝食。リハビリなどで午前中を過ごし、正午に昼食。午後は歩行練習。六時に夕食で、九時には消灯だ。
 「人間は体の中に百人の名医を持っている。病気は人間が自らの力をもって治すものだ」と言ったのは、確か、古代ギリシャの名医ヒポクラテスだったと記憶するが、こういう「朝起きて夜寝る」という健全な生活が板についてくると、それが実感できる。
 一週目で五つ脚の点滴台を頼りにしながらも、洗面所まで歩けるように。私にも「内なる名医」がいたようだ。
 入院したもう一つの理由は、私の病状に合わせて妻が住環境を整える準備期間を与えることだ。ちゃぶ台からテーブルへ、布団から電動リクライニングベッドに替え、床に座らなくても暮らせ、車いすの取り回しもできるようにする。私に付きっきりでは、永久に準備できないだろう。
 入院から二週間。私の体調も、部屋や家具の入れ替えもめどが付き、そろそろ退院かというタイミングで、コロナ禍が襲ってきた。「様子を見ましょう」と、もう一週間延長。膨大な時間を過ごすためにも、テレビのプリペイドカードは必須だったのだ。
 その後、無事退院し、見違えたわが家に驚く。久しぶりに家でくつろいで見るニュースでは、対コロナの死闘が続いていた。果たして自らを治癒しようとする人間の力は、コロナに打ち勝つことができるだろうか。ヒポクラテスの教えが重い。
<パーキンソン病> 脳内の神経伝達物質ドーパミンを作る細胞が壊れ、手足の震えや体のこわばりが起きる。多くが50代以上で発症し、国内の患者数は約16万人。厚生労働省の指定難病で、根治療法はなく、ドーパミンを補う服薬が治療の中心。服薬は長期にわたり、経済的負担も大きい。
<みうら・こうき> 1970年、岐阜県生まれ。92年、中日新聞社入社。政治部、ベルリン特派員などを経て現在、編集委員。42歳のとき過労で休職し、その後、両親が要介護に。自らもパーキンソン病を発病した。事情を抱えながら働く「わけあり人材」を自称。

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