<中村雅之 和菓子の芸心>町衆と生きた狂言師 「祇園ちご餅」(京都市・三條若狭屋)

2020年7月10日 07時42分

イラスト・中村鎭

 例年、京都に夏を告げる「祇園祭」。残念ながら今年は、新型コロナウイルスの影響で中止が決まったが、最大のヤマ場は、「山鉾巡行(やまほこじゅんこう)」。7月17、24の両日に分かれ、祇園囃子(ばやし)を響かせながら33基の山や鉾が都大路を行く。見事な装飾から「動く美術館」とも言われ、町衆の心意気と財力のすごさを今に伝える。
 長刀(なぎなた)を屋根の上に突き立て巡行の先頭を行く「長刀鉾」には、白塗りの化粧をした稚児(ちご)と2人の禿(かむろ)が乗る。昔は、ほとんどの鉾に稚児が乗っていたが、昭和初期には「長刀鉾」だけに。他の鉾が人形を乗せるようになったのに対し、「生(いき)稚児」とも言われる。
 巡行に先立つ13日、稚児は、十万石の大名と同格の「五位少将」の位を授かるため、立烏帽子(たてえぼし)に水干のいでたちで、白馬に乗り、八坂神社へ参拝する。
 終わった後、稚児が一息つくのが、境内に古くからある料亭「二軒茶屋 中村楼」。そこでは、神前にも供えられた「稚児餅」が出される。竹串に刺した細い焼餅に、白味噌が塗られ、ほんのり甘い。
 ここからの発想で、大正時代に生まれたのが三條若狭屋の「祇園ちご餅」。白味噌を甘く炊き、求肥(ぎゅうひ)で包み、氷餅をまぶして竹串に刺している。祭の間、厄除(やくよ)けとして授けられる「粽(ちまき)」を模した3本入りの包みも、なかなかの風情だ。
 稚児に選ばれるのは、今は老舗の子弟ばかりだが、かつては能楽師の家の子も珍しくなかった。狂言の茂山千五郎家は常連で、「人間国宝」だった四世千作も勤めた。弟の二世千之丞は、稚児探しの仲立ちもした。町衆と共に生きてきた茂山家らしい逸話だ。(横浜能楽堂芸術監督)
<三條若狭屋> 京都市中京区三条通堀川西入ル橋西町675。(電)075・841・1381。一包み(三本入り)432円。

長刀鉾の稚児。平安時代に疫病退散を祈ったことが起源の「祇園祭」

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