代替開催を巡る葛藤 『ベルリン・オリンピック反対運動』 武蔵野美術大教授・青沼裕之さん(62)

2020年7月12日 07時00分
 近代オリンピック(五輪)史上初めて国策として利用されたのが、ナチス統治下で一九三六年に開催されたベルリン五輪であった。北米、欧州諸国およびパレスチナで開催地をベルリンから移転しようという運動が高まっていった。そして、開催地移転が不可能となった段階で、バルセロナ人民オリンピアード(スペイン)が計画、準備されたが、開催日の前日未明にフランコ将軍の反乱によって未発に終わった。
 だが、この反対運動に関する研究はあまり進んでいない。本書はこの状況を打開しようと意図した。研究対象としたのは、反対運動を主導した英国労働者スポーツ協会、反戦・平和運動に尽力して一九五九年にノーベル平和賞を受賞したフィリップ・ノエル=ベーカー、そして労働運動界の重鎮ウォルター・シトリーンである。
 彼らは大切にするもの、擁護したいものが異なっていたため、ベルリン五輪になぜ反対するのか、どのような方法で反対するのかに違いがあった。
 英国労働者スポーツ協会が反対運動を先導した理由は明白で、労働組合や労働者スポーツ組織を解体したナチスが開催するベルリン五輪を阻止し、開催地移転が不可能となった段階で、人民オリンピアード開催に協力することであった。
 ノエル=ベーカーは、ベルリン五輪がすべての人種と国民が制約を受けることなく平等に五輪に参加できることを謳(うた)った「オリンピック憲章」に反するものだと判断し、ベルリン開催に反対した。また彼は、オリンピック・ムーブメントをすべての参加者に友愛と和解の精神、真のスポーツマンシップを育む唯一無二の国際運動であると考えていたので、五輪に対抗する人民オリンピアードを開催することには賛同しなかった。
 ウォルター・シトリーンは、英国労働者スポーツ協会の後見役として、ドイツのスポーツ組織がナチスによって解体され、ユダヤ人がドイツ国内でスポーツをする自由や権利を奪われている事態を重視し、ベルリンでの五輪開催に反対した。
 昨今の世界で起こっている五輪問題は判断の難しい複雑な関係や感情を伴っている。立場が違えば自(おの)ずから判断の基準も変わるだろう。本書が五輪をめぐる問題を再考する手がかりとなれば幸いである。 =寄稿
  青弓社・二八六〇円。

関連キーワード

PR情報

書く人の最新ニュース

記事一覧