<再発見!伊豆学講座>伊豆の鉄 伊勢に貢納、大砲計画も

2020年7月12日 07時20分

伊豆でただ一人の野鍛冶職人、鈴木茂さん

 南伊豆町には鉄に縁の深い三社の「高根神社」がある。いずれも鉄をつかさどる神といわれる味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祭神としている。
 市之瀬字森之上の高根神社は、「南豆風土誌」に「大永六(一五二六)年再建」とある。口碑によれば「元、鈴振山の麓にあり、のち、現在地に移転した」という。大永六年十二月の新造(再建)棟札には「仁科庄小浦郷内一瀬村」とあり、この地が現在の同町子浦と一村であったことがわかる。
 棟札には「鍛冶助右衛門」の記載もある。また同神社の永禄九(一五六六)年八月の宝殿蔵立棟札にも「鍛冶小浦次郎右衛門」とある。この地に鍛冶を行う者がいたことを示している。
 同町毛倉野の高根神社も、天文十三(一五四四)年九月二十二日の宝殿造営棟札に「鍛冶大工小浦助右衛門」と記している。市之瀬の神社の棟札に登場した鍛冶職人と同一人物の可能性が高い。高根神社は、子浦の隣村の妻良にもある。
 子浦の砂浜は砂鉄で黒々としている。古来、わが国の製鉄法は砂鉄を集め、鉄器や刀剣を造った。幕末、韮山反射炉を建造して鉄製の大砲を造ろうと計画した韮山代官江川英龍は、伊豆各地に砂鉄を探すよう命じたのもこのことを承知していたからである。
 これに呼応して、吉佐美(下田市)で江戸の町人が砂鉄を集めて鉄の試し吹きを行っている。しかし純度の高い大砲を製造する鉄は、砂鉄ではなく鉄鉱石からでないと難しいことがわかり、計画は断念した。
 さかのぼって、南伊豆町湊にある日野(ひんの)遺跡は、青野川流域のわずかな平野にある古墳時代、平安時代の遺跡である。昭和五十九(一九八四)年、竹麻小学校の改築に伴って校庭を発掘し遺構が確認された。平安時代の製鉄遺構も発見され、製鉄炉が五基、井戸一基、炉跡一基と廃滓場などが確認された。
 製鉄炉は石組みの下部を入念につくってから炉を築いたもの、地山を若干掘りくぼめただけの簡単な下部構造のもの、まったく下部構造をつくらないもの、に分けられる。
 延元四(一三三九)年十月の報告「給人引付諸神領(きゅうにんひきつけしょじんりょう)注文」に、「蒲屋御厨鍬(かばがやみくりやくわ)五十匂(勾)」とある。伊豆国賀茂郡にあった伊勢外宮領の蒲屋御厨から、くわを貢納したことがわかる。その故地は、南伊豆町青市、湊、手石および下田市田牛(とうじ)を含む地域と推定されている。まさに日野遺跡周辺ということになる。
 かつては、くわなどの農具は、専ら地域の野鍛冶といわれる人たちが造ってきた。現在、野鍛冶を職業にしている人は、伊豆では、南伊豆町の鈴木茂さん一人になってしまった。 (橋本敬之・伊豆学研究会理事長)

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