<ふくしまの10年・無人の街を撮り続けて>(1)被写体を被災地に変え
2020年7月14日 06時57分
福島県三春町在住の写真家・飛田晋秀(ひだしんしゅう)さん(73)は、もともと鍛冶や和菓子など日本の職人を被写体として撮り続けてきた。時間をかけ人間関係を構築したうえで、シャッターを切る。ゆっくりとした、しかし、濃密な時間を経て白黒の作品を生みだしていた。
そんな仕事の流儀を大きく変えたのが、二〇一一年三月十一日の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故だ。
「全国の職人の撮影を終えてこれから写真集を出すため編集作業に入るという時でした。被災地に向かうべきか否か。自分は報道写真家でもない。迷いました」
震災の一カ月後、知人からいわき市小名浜地区への取材を提案される。「友人ら八人が津波に流され死亡した知人女性と小名浜港に向かいました。最初は津波被害のすさまじさにショックで、シャッターが切れませんでした」
海沿いを北上し広野町まで写真を撮った。行方不明者を捜す人たちの姿に「撮影しながら涙がこぼれてきました」。
その後、三春町で被災者支援を通じて知り合った富岡町の六十歳代の女性から警戒区域内の自宅への同行を頼まれた。被害を写真で残すためだ。二〇一二年一月末、本格的な被災地取材が始まった。
(長久保宏美が担当します)
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