4世代がんと戦う住民 政府は責任回避し続け <忘れられた声~世界初の核実験から75年 ㊤>

2020年7月17日 06時00分

◆「トリニティ実験」 広島、長崎の1カ月前に

 見渡す限りの荒野。照り付ける太陽の下、虫の音だけが聞こえる。1945年7月16日午前5時半、広島、長崎への原爆投下に先立ち、米政府が世界初の核実験「トリニティ実験」を秘密裏に成功させた南西部ニューメキシコ州の跡地。75年を経た今も、自然界の最大10倍の放射線が検出されるという。

荒野が広がるトリニティ実験跡地に建つ記念碑。山の向こうにトゥラロサなどの集落が点在する=米ニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル試験場で

◆「弾薬庫の爆発」とだまされて

 東京都の3・7倍の広さを持つ陸軍ミサイル試験場の一角にある跡地は、軍が春と秋に年2回公開し、「迅速な終戦につながった」と実験の意義を伝える。が、負の面はあまり触れられない。周辺住民らが「弾薬庫の爆発」とだまされたまま、降り注ぐ死の灰にさらされたこと、危険が広範に及び、ここで二度と核実験が行われなかったこと―。

◆がんの苦しみは続く

 山を隔てた東側の盆地では実験後、がんに苦しむ住民が相次ぎ、実験の影響を問う声が今も絶えない。

トリニティ実験による健康被害を訴えてきたティナ・コルドバさん。自身まで家族4世代が、がんに苦しんできた=米ニューメキシコ州アルバカーキで

 人口3000のトゥラロサ村。建設会社社長ティナ・コルドバさん(60)の家族は1950年代以降、曽祖父から自身まで4世代ががんと闘ってきた。実験時3歳だった父親は口腔がんや前立腺がんに侵され、化学療法の末に71歳で死亡。体重は30キロ減り、最期の8カ月は食事もできなかった。「あの怖さは筆舌に尽くしがたい」。自身は38歳で甲状腺がんが発見され、妹は皮膚がんの治療中という。
 「この村で私の経験は特別ではない。がんは『もしか』ではなく『いつか』の問題」。2005年、他の住民とともに被害を訴える団体を発足させ、米政府に補償と謝罪を求めている。

◆米政府は「無人地帯」と主張

 広島、長崎の被爆者やその家族には、日米合同の研究機関が遺伝的影響を含む健康調査を続けている。一方、米政府はトリニティ実験は「無人地帯」で行われたと主張し、周辺住民の健康被害を認めず、こうした調査も補償もしなかった。
 しかし、米疾病対策センター(CDC)は10年、周辺地域の実験後の放射線レベルが許容水準の「1万倍」だったと発表。実験当時、住民の多くが雨水を飲料水に使い、搾乳用の牛やヤギを飼う自給自足の生活をしており「内部被ばくで重大な健康被害を及ぼした可能性」があると認めた。19年には、周辺地域で当時、乳児死亡率が上昇したのに当局が公表していなかった疑いも明るみに出た。
 CDCの調査を担当した保健物理学者ジョセフ・ションカ博士(72)は「周辺住民らへの影響は指摘されながら、研究されなかった。事実をねじ曲げ、責任を回避しようとしたのでは」と米政府の対応を批判する。

◆死と破壊の物語は今もなお

 当時の住民のほとんどは既に他界したとみられ、「被害の全容は、もう永久に分からない」とコルドバさん。「核時代の幕開け」として歴史に刻まれた実験は、必ずしも過去の話ではない。「単なる成功物語ではなく、今も続いている米国民の死と破壊の物語なのです」(ニューメキシコ州で、赤川肇、写真も)
◇    ◇
 米国が国家ぐるみで原爆を開発した「マンハッタン計画」の集大成とされるトリニティ実験。その被害は広島、長崎の陰に隠れ、「忘れられた犠牲」とも呼ばれる。トランプ政権が核兵力増強へ意欲を見せる今、戦後も核関連施設が集積してきたニューメキシコ州の住民や、マンハッタン計画の科学者らの思いを追った。

 米国の原爆開発 米国は1940年代初頭から原爆開発計画を推進。ナチス・ドイツが先行する恐れを背景に、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所を中心として、テネシー州オークリッジでウラン、ワシントン州ハンフォードでプルトニウムの製造が進められた。45年7月16日、ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」で初の核実験を実施。8月6日、広島にウラン原爆を、9日に長崎にプルトニウム原爆を投下した。(共同)

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