横浜の「黒船」 クルーズ船で起きたことはその後東京、大阪でも

2020年7月17日 06時00分
<検証・コロナ対策 3>
 「原因不明の肺炎流行 中国・武漢で」
 新型コロナウイルスの関係で、本紙に初めて記事が載ったのは1月5日だった。武漢市の海鮮市場の関係者を中心に年末から広がり、44人が感染したと伝えた。翌日、日本の厚生労働省は武漢で7人の重症を含む59人の患者が発生し、死者はいないと発表する。
 「問い合わせも多いので」と、厚労省の担当者が記者たちに説明したのは7日。「新型の可能性もゼロではないが、人から人へ次々と伝播していく可能性は極めて低いのかなと思う」と話した。その2日後、中国で複数の患者から新型コロナウイルスが検出されたと報じられる。
 厚労省は15日、神奈川県で国内初の感染者を確認する。武漢に滞在歴がある男性だった。「感染者が劇的に増えることは考えていない」。まだそんな認識だった。18日に東京都内の屋形船で集団感染が起きるが、発覚は2月になってからだった。

◆「危険な病気」に警戒、そして「黒船」が

 「何だこれは」
 1月下旬、防衛医大教授の川名明彦(61)は、海外の医学誌を見て驚いた。中国からの論文は、人から人への感染などを報告。ウイルスの特徴はこのころから、中国以外に知られ始める。
 川名が「危険な病気だ」と警戒を強めたころ、1隻の大型クルーズ船が横浜港に向かっていた。中国以外では最初の大規模な集団感染となる「ダイヤモンド・プリンセス」が、3711人を乗せていた。
 政府関係者は、こう振り返る。「あれは日本にとっての黒船だった」
 新型コロナウイルスの大規模な集団感染が起きる大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」から、日本政府への一報は「7人程度が感染の疑い」だった。2月3日夜、横浜港に入港すると、国立感染症研究所の医師、山岸拓也(47)らが船内に乗り込んだ。

◆船内はすでに危機的状況

 「検査で陰性だったら明日にでも3000人にお帰りいただく」と政府高官。だが、乗船した山岸はすぐに「想像以上に深刻だ」と気付く。4階の医務室は、発熱や体調不良を訴える乗客であふれていた。
 香港で下船した男性の感染が1日に判明した後も、船内ではショーやパーティーが開かれていた。山岸らが発熱症状などのある乗客をリストアップすると、70人以上になった。発熱した乗客は各階に広く散らばっており、「すでにアウトブレイク(集団発生)の状態だ」と思った。

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」(後方)から下船した人たちを乗せ、出発するバス=2月、横浜市鶴見区の大黒ふ頭で

 発症の疑いがある乗客らの部屋を訪ね、夜を徹してPCR検査を実施。翌日、検査した31人のうち10人が陽性と判明する。政府は船内待機を決め、乗客は5日から自室に留め置かれた。
 乗客の金沢市の70代男性は「いつ自分も…」とおびえつつ、陰性判明までの2週間を過ごす。食事は乗員からの手渡し。不安になって何度も手を洗った。

◆病床が足りない

 日を追うごとに増える船内の感染者。直面したのが収容先の確保だった。厚生労働省から「神奈川県内の医療機関で受け入れてほしい」と依頼された県は慌てた。「誰が搬送するのか」「法的根拠は」。こんな事態は想定したことがなかった。
 県から相談を受けた藤沢市民病院の副院長、阿南英明(54)は「これは災害です」と助言。県は6日に対策本部をつくり、搬送のために災害派遣医療チーム(DMAT)を招集する。
 だが、感染者の受け入れ可能な病床は県内に74床しかなく、数日で埋まる。「患者を取れますか」。他県にも電話をかけ続けた。「途中からけんかのようになった」と、DMATを指揮した阿南。船内で持病が再発した都内の80代女性は搬送先が決まらず、埠頭で5時間以上も待たされた。患者の搬送先は神奈川のほか最終的に宮城から大阪まで15都府県に及んだ。

◆当初の予想の100倍

 阿南がクルーズ船対応に追われていた2月14日、政府は専門家会議を発足させる。そのメンバーになった防衛医大教授の川名明彦(61)は後に、重要な教訓を得たと思った。感染者の6割近くは、検査をしないと見つけにくい無症状だった。また、病床が限られており、感染が拡大すればベッドがすぐに不足する。
 乗客の下船は3月1日に完了する。当初、「7人に疑い」だった感染者は100倍の712人となり、13人が亡くなった。
 街にある施設のほとんどを備えるクルーズ船は「洋上の都市」とも呼ばれる。3月下旬以降、大都市・東京で感染が広がると、クルーズ船での教訓を思い知らされることになる。(敬称略、肩書は当時)

関連キーワード

PR情報