陰と陽の真ん中で 『生きていて。もう死んで。そのはざまで。 ただ、そばにいるということ』 看護師・僧侶 玉置(たまおき)妙憂(みょうゆう)さん (55)

2020年7月19日 07時00分
 刺激的なタイトルは、自らの介護体験にも基づいている。「介護する人は誠心誠意尽くして、汚い心は持ってはいけない、というような押しつけイメージが世の中にはある。でも、実際は介護ってきれいごとじゃないよね、という…」。柔和な表情で語りだす。
 大腸がんの手術と抗がん剤治療を経て、いったん社会復帰した夫が、再発。看護師として働く傍ら、約二年の闘病を支え、二〇一二年にみとった。在宅だった最後の数カ月は、食事から下の世話に加え、夜間、一時間おきに起こされる日々。疲れ果てていた。時に負の感情を抱き、これに自己嫌悪し、さらに苦しんだ。
 仏教の考え方を学んだ今、同じように苦しむ人たちに伝えたいのは「物事には陰と陽の両方がある」ということ。自分の中にも両端があることを認めた上で、真ん中でバランスを取る重要性を説く。介護で精神的に行き詰まった時は損得勘定の生じない人に話を聞いてもらうことや、自分で自分を満たす方法を三十個持つことなどを勧める。柔軟性に富んだ介護をする姿を子どもたちや孫に見せることが、次代のより良いみとりにもつながる、とも説く。
 看護師で僧侶という異色の肩書となったのは、いずれも家族がきっかけ。アレルギーが元でぜんそくやアトピーに苦しんでいた長男の状態を「自分で理解したい」と考え、看護師資格を取ろうと決意。三十歳から看護学校で学んだ。
 僧侶になることは、夫の四十九日のころに決めた。「この先の法要は自分でやりたい」という考えや「俗世でやるべきことは終わった」との思い。何より、自らの気持ちの整理に苦しみ「自分自身の背骨になるもの」を求めていた。
 現在は、東京都内の病院の看護部長室付職員として、週一回、緩和ケア病棟を回って患者や家族の話を聞くほか、訪問看護をしている看護師やケアマネジャーらからの依頼を受け、患者や家族に会いに行く。看護師と僧侶の経験や知識を生かせるのかと思いきや、蓄積したものは邪魔なのだと言う。
 「スピリチュアルケアといって心の深いところの話を聞く場合は、何もない状態で行くのがこつ。じっと聞いて、相手が『あなたに聞いてもらってよかった』と思うかどうかがすべてですから」。KADOKAWA・一四三〇円。 (北爪三記)

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