原爆開発計画に参加した97歳科学者が持ち続ける危機感とは <忘れられた声~世界初の核実験から75年㊦>

2020年7月19日 05時50分
 1944年9月、大学を出て原爆開発の「マンハッタン計画」に参加した科学者ディター・グルーエンさん(97)は、急ごしらえの秘密都市に赴いた。世界初の核実験「トリニティ実験」が行われた米ニューメキシコ州から東に2200キロにあるテネシー州オークリッジ。一帯は開発中で、道路も未舗装。膝まで泥にまみれながら、たどり着いた。

1945年7月、ニューメキシコ州アラモゴード近郊の「トリニティ・サイト」で行われた初の核実験で上がった火の玉=米エネルギー省提供

◆ウラン濃縮を担当「戦争に貢献したい」

 ドイツ出身のユダヤ人。ナチスの迫害から逃れるため、親類が住む米国に14歳で渡った。大学卒業時は第2次世界大戦の真っただ中。負傷兵用の抗菌薬の研究を続けるつもりだったが、マンハッタン計画に関わっていた担当教官から、主要拠点の1つだったオークリッジを推薦された。連絡すると、「すぐ来てほしい」と言われた。

ディター・グルーエン氏=デービッド・A・ウォーガウスキー氏撮影

 原爆に必要な大規模なウラン濃縮の研究を担った。「なぜそれが必要なのかは分かっていた」。不安が原動力だったという。「ヒトラーが核兵器を手にすれば、世界が苦しむ。だから、私たちの研究で戦争遂行に貢献したいと願っていた」

◆原爆投下「絶望的な気持ちに」

 赴任から1年足らずの45年8月6日、広島にウラン型原爆が落とされた。「ぞっとする絶望的な気持ちだった」。それが戦争を終わらせ、日米両国のさらなる犠牲を防いだと今も信じるが、「核兵器廃絶の方法を見つけなければ、全ての文明社会が破壊されるだろう」とも。原爆投下直後から持ち続けてきた危機意識だ。

◆「世界政府」の樹立を提唱

 博士号を取ったシカゴ大学の図書館に、45年12月付の赤茶けた書簡の写しが残る。「次の戦争は現代文明の破壊を意味しうる」。原爆開発に関わった仲間と連名で、当時のトルーマン大統領ら政府要人や科学者、文化人など計154人に送ったもの。「世界政府」の樹立を提唱し、手をこまねいていれば「手遅れになる」と訴えた。

1945年末、グルーエン氏らが要人らに出した書簡

◆コロナ禍に「今こそ国際社会が結集、対話を」

 75年後の今、その実現は、むしろ遠のきつつあるように映る。
 「核なき世界」を志向したオバマ前政権から一転、トランプ政権は爆発を伴う核実験の再開を示唆。核兵器関連を含む軍事費を増大させ、「特に中国、ロシアの行動を考えれば選択の余地はない」と正当化する。
 米国が世界最多の犠牲者を出している新型コロナウイルスを巡り、トランプ氏は5月、今年末までにワクチン開発にこぎ着ける目標を発表。「マンハッタン計画以来の科学、産業、物流の壮大な試みだ」と原爆開発になぞらえ、国力の結集を訴えた。そこに国際協力の視点はない。
 グルーエンさんは異議を唱える。「いま必要なのは国際社会が結集、対話し、人類共通の脅威であるパンデミック(世界的大流行)や気候変動、核廃絶に立ち向かうことだ。全力を傾ければ難題を解決できる。それが私にとってマンハッタン計画の教訓だ」。97歳の老科学者は今、太陽光発電の効率化に向けた研究を続けている。(ニューヨーク・赤川肇)

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