<首都残景>(14)旧岩淵水門 下町を水害から守った「砦」

2020年7月19日 07時02分

1982年まで使用された旧岩淵水門。通称「赤水門」=いずれも東京都北区で

 奥秩父に端を発した荒川は、東京都北区の赤羽付近で隅田川と分かれる。この分岐点に築かれたのが岩淵水門。東京の下町を水害から守る「砦(とりで)」である。
 昨年十月、台風19号がもたらした雨は首都圏各地に深刻な被害をもたらした。荒川も増水し、岩淵水門は十二年ぶりに閉門した。もしも水門がなければ隅田川の水は堤を越えていたとみられている。
 岩淵には赤水門と青水門の二つがある。大正時代の一九二四年に完成し、近代化産業遺産に指定されているのが赤水門。八二年に、老朽化した赤水門の役割を引き継いだのが青水門だ。
 水門の歴史は荒川放水路とともにある。明治政府は、首都を洪水から守るため隅田川の東側に放水路を掘削する。河口まで二十二キロの放水路は、二十年の歳月をかけて三〇年に完成。二つの川の水の振り分け役を赤水門が担った。
 幅九メートルの通水路が五門並び、三十トンの重さの鉄扉を上げ下げするために水門の上を蒸気機関車が走り、見る人を驚かせた。
 「完成時には後の昭和天皇(当時は摂政)が視察にいらした。国をあげた大事業だったに違いありません」と国土交通省荒川下流河川事務所・辻勝浩副所長。
 時代の熱気を感じさせる遺産をもう一つ見つけた。
 水門の横の緑地に「草刈の碑」が立っている。

水門近くにある、1938年から6年間この場所で行われた「全日本草刈選手権大会」を記念して作られた「草刈の碑」

 三八年から六年間、水門の両岸で、農家の若者の士気を高めるために、全日本草刈選手権大会が開催されていたという。全国四万人の予選参加者の中から選ばれた精鋭が鎌を手に、制限時間内に、どれほどの量の草を美しく刈れるかなど技術と体力を競った。
 応援団がのぼり旗を振ってエールを送ったと記録にある。優勝者には牛一頭が授与されたそうだ。
 今、周辺は遊歩道が整備された親水公園となっている。釣りざおを手にした男性がいた。魚籠(びく)の中の獲物はテナガエビ。「普段はもっとたくさん釣れるんですよ」と言いながらも笑顔。
 時代を超えた人の営みをのみ込むように、目の前には悠々と大河荒川が流れている。

旧岩淵水門(奥)付近で釣れたテナガエビ

 文・坂本充孝/写真・戸田泰雅
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