<ふくしまの10年・無人の街を撮り続けて>(7)「慌ただしさ」の残骸

2020年7月22日 06時59分

双葉病院の中庭に放置された車いす=福島県大熊町で(飛田晋秀さん提供)

 東京電力福島第一原発事故による住民避難は苦難を伴った。原発の南西約四・五キロにある双葉病院(大熊町)の患者と系列の介護老人保健施設では、入所者らが長時間の搬送や避難を余儀なくされ、移動中のバス車内や避難先で、寝たきりの患者らが多数死亡した。
 三春町の写真家・飛田晋秀(ひだしんしゅう)さん(73)が地元住民に同行し双葉病院に向かったのは事故一年後の二〇一二年三月。
 道路からも見渡せる中庭には、数多くの車いす、キャスター付きベッド、未開封のミネラルウオーター、乾パンの入った段ボールが放置されていた。
 「いかにあわててお年寄りたちを避難させたかが分かる現場でした。とりわけこの病院の患者の救助がうまくいかなかったのか。家族にみとられることもなく、バスの中で亡くなった方の気持ちを考えるとたまりません」
 政府事故調査報告書などによると、避難指示発令後の一一年三月十二日午後二時には、双葉病院の入院患者の避難が開始されたが、病院長と重篤患者百二十九人、老健施設の入所者九十八人が残された。
 その原因は、救助情報が県対策本部内で共有されず、福島第一原発1、3号機の水素爆発で自衛隊の救助も難航。全員の避難完了は十六日になってからだった。  

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