ポツダム会談から75年 当時の英首相秘書が書いた極秘日記が初公開 ベルリン近郊で企画展

2020年7月22日 13時50分
 第2次世界大戦の戦後処理について米国、英国、ソ連の首脳が話し合った1945年のポツダム会談から75年。会場となったベルリン近郊のツェツィーリエンホーフ宮殿で開催されている企画展で、英首相チャーチルの秘書が当時、極秘に記していた日記が初めて公開されている。(ドイツ東部ブランデンブルク州ポツダムで、近藤晶、写真も)

英首相チャーチルの秘書だったジョイ・ハンターさんの日記。英米ソ連の首脳の写真が貼られている

◆16日間の様子、詳細に

 「3人の指導者と握手をした時には畏敬の念を感じ、それが起こったことが信じられず、完全に圧倒された気分になった」。当時19歳だったチャーチルの秘書、ジョイ・ハンター(旧姓ミルワード)さん(94)は、3カ国の高官らが参加したコンサートで「3巨頭」に遭遇した時の印象をこう記している。

企画展で公開されている、英首相チャーチルの秘書だったジョイ・ハンターさんのインタビュー映像

 ポツダム会談が行われたのは45年7月17日から8月2日。当初ベルリンで行われる予定だったが、戦禍が激しく、ソ連が占領したポツダムで破壊を免れたツェツィーリエンホーフ宮殿が選ばれた。ソ連の最高指導者スターリン、米大統領トルーマン、英首相チャーチルが集まった。
 ハンターさんは会談前年からロンドンの地下にあった「内閣戦時執務室」にタイピスト兼速記者として勤務。英代表団の一員としてポツダムに同行した。
 宮殿に入ることが許されなかったハンターさんでさえ、個人的なメモを残すことは禁じられていたが、宿舎にあった空のアルバムに16日間の様子を詳細につづっていた。日記には、イラストや写真のほか、当時の渡航許可証や代表団宿舎周辺の地図など貴重な資料も貼り込まれている。
 宮殿の副館長、マティアス・ジミッヒさん(51)が8年前、日記について語るハンターさんの記事を見つけ、公開につながった。ジミッヒさんは「権力者の下で働く若い女性が庶民の目線で会談をどう見ていたかが分かり、非常に興味深い。権力者が下した決定によって影響を受けた普通の人々が、数多くいたことを忘れてはいけない」と語る。

ポツダム会談が行われた部屋について説明するツェツィーリエンホーフ宮殿の副館長マティアス・ジミッヒさん

◆日本の被爆関連の資料も展示

 企画展は、そうした人々にも焦点を当てている。ナチスが他国で占領した地域から追われたドイツ人難民。ソ連の主張で国境線が変わったポーランドの庶民。原爆が投下された日本の被爆者。被爆者のインタビュー映像や、広島平和記念資料館から借り受けた被爆した弁当箱と小さなグラスが展示されている。

ポツダム会談75年企画展で展示されている広島で被爆した弁当箱

 ポツダム会談は敗戦国ドイツの戦後処理が中心議題だったが、ソ連の対日参戦と原爆の使用を巡って駆け引きもあった。
 ポツダム滞在中に原爆実験成功の知らせを受けたトルーマンは7月24日、スターリンに「新兵器を手にした」と告げる。しかし、スパイから情報を得ていたとされるスターリンは落ち着いた様子だったという。トルーマンは翌25日に原爆投下を承認。26日に日本の無条件降伏を求める「ポツダム宣言」が発表された時には、原爆使用の方針は決まっていたことになる。
 ジミッヒさんは「会談の成果は乏しく、西側と東側の対立が浮き彫りになっていた。原爆が投下されたのは広島と長崎だったが、ソ連にその威力を見せつける狙いもあったのだろう」と指摘する。会談4年後の49年にはソ連も原爆実験に成功。新たな世界秩序の構築を目指したポツダム会談は、東西冷戦と核開発競争の序章となった。

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