「原爆の火」上野から福島に移設へ 「核」の惨禍でつながる <2020年 核廃絶の期限>

2020年7月25日 05時50分
 核廃絶を願って30年間ともされてきた上野東照宮(東京都台東区)境内のモニュメント「広島・長崎の火」が年内に撤去され、来年春に福島県楢葉ならは町に移設されることが分かった。社殿など国指定の重要文化財(重文)の防火対策のため、上野東照宮が長年移設を求め、楢葉町で原発避難者を支援する宝鏡ほうきょう寺が引き取ることになった。管理する市民団体は「広島、長崎に続いて核の被害にあった福島で再出発したい」と話している。(木谷孝洋)

「広島・長崎の火」のモニュメントを見つめる小野寺理事長(左)ら灯す会のメンバー=東京都台東区で

◆重要文化財の前は「危険」と移設求められて…

 「広島・長崎の火」は、1945年当時、兵役で広島にいた故・山本達雄さんが原爆投下直後に親族の家に残っていた火を採取し、携帯カイロの火種にして福岡県星野村(現八女やめ市)の自宅に持ち帰った。村に引き継がれて保管され、88年には長崎の原爆投下で焼けた瓦から採った火と合わせてニューヨークの国連軍縮会議に届けられた。

「広島・長崎の火」のモニュメント

 当時、アメリカとソ連による核軍拡競争への反対運動が世界的に盛り上がり、国内では被爆者援護法の制定を求める声が高まっていた。台東区でも市民を中心に「原爆の火」を上野の森に灯そうという運動が起こり、1年余りの募金活動の末、90年にモニュメントが完成。管理団体として、現在の「上野の森に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」が発足した。
 灯す会は毎年8月、被爆や戦争体験を語り継ぐ集会などを開いていたが、上野東照宮の宮司が代替わりしたこともあり、2006年から「重文の前で火が燃えているのは危険」と移設を求められてきた。会は台東区役所や区内の寺に移設を打診したが断られ、移設先探しは難航した。

◆原発事故10年の3・11に点火式

 今年初め、弁護士で灯す会の小野寺利孝理事長(79)が、東京電力福島第1原発の避難者訴訟で原告団長を務める宝鏡寺の早川篤雄住職(80)に相談し、受け入れを快諾された。上野からモニュメントと種火を運んだ上で、原発事故から10年となる来年3月11日に点火式を行う計画という。
 今月17日には、小野寺さんら会員2人が宝鏡寺を訪れ、早川住職や火を管理する地元の住民と面会した。小野寺さんは「移設は残念だが、今回を機に核兵器の惨禍と原発の被害をつなぐモニュメントにしたい。単に火を移すのではなく、核なき世界を目指す運動も引き継ぎたい」と話す。

◆「福島も広島・長崎と同じ」

 早川住職も「私たちのような思いを2度とさせないという点で福島も広島、長崎と同じだ。可能な限り未来に伝えていきたい」と話した。
 灯す会では8月9日に30年の活動を振り返る集会を予定している。

◆「原爆の火」全国に約60か所

 広島、長崎に由来する「原爆の火」は1980年代後半から、核廃絶運動の高まりを受けて各地に広がった。設置状況を調べている「上野の森に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」(東京)によると、現在、全国の約60カ所にある。海外ではカナダとニュージーランドに1カ所ずつあるという。
 火が分けられたルートはいくつかあるが、上野東照宮と同様に福岡県星野村(現八女市)から分火されたものが最も多い。原爆の火を88年の国連軍縮会議に届ける前、全国を回った際に分けられたケースや、広島、長崎両市から分火したものもある。火はモニュメントや平和の塔などとして、自治体の庁舎や公園、寺院に設置されている。

◆管理にひと苦労、消えることも

 中部地方では、愛知県の桜丘高(豊橋市)や北名古屋市文化の森物語の広場、長野県の神宮寺(松本市)などにある。
 火の管理には手間がかかるため、消灯したところもある。山梨県甲州市の清水寺せいすいじでは99年から灯火していたが、2007年に本堂の火事に伴って消えた。管理団体の高齢化などで消えるケースもある。上野東照宮の火も大雨や強風で消えることが多く、事務所に種火を置いて再灯火させているという。
 上野の「灯す会」の川杉元延さん(78)は「最も多い時期は全国に80カ所はあったが、管理が大変なため減っている。核廃絶と平和を祈るよりどころとするためにも灯し続けてほしい」と話している。

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