あめつちのうた 朝倉宏景(ひろかげ)著

2020年7月26日 07時00分

◆甲子園を「耕す」整備員の青春
[評]谷野哲郎(本社東京運動部長)

 多くのドラマを生んできたことから、甲子園球場には魔物がすむと言われる。本当に魔物がいるかどうかは分からないが、守り神なら知っている。大雨が降っても、神がかった技術で試合を可能にする球場整備員たち。本書はそんなグラウンドキーパーの卵を描いた物語である。
 十八歳の雨宮(あめみや)大地は「阪神園芸株式会社」の新入社員。ライン引きや水まきといったグラウンド整備を仕事にしている。叱(しか)られながら、学びながら、高校野球の聖地を舞台に成長していく大地。春夏とも球児らの全国大会がなくなってしまった今だからこそ、読んでもらいたいと思う。
 面白いのは「阪神園芸」が実在する会社だということ。著者は同社で聞いた極意を織り込んでいるから、リアリティーがある。例えば、トンボかけ。でこぼこしたところを平らにするだけでは不合格。「表面を均(なら)すのと同時に、移動した土をしかるべき場所に戻してやる」のが正解なのだそうだ。
 ドームや人工芝。利便性を追求した結果、いつの間にか日本の球場は独自の味わいが薄れた。そんな中、甲子園は土にこだわり、職人技を磨いてきた。阪神園芸の中には「土守(つちもり)」と呼ばれる名人級の職人がいる。私も三代目土守の金沢健児(けんじ)さんを取材したことがあるが、教えてもらう全てが驚きだった。
 甲子園のグラウンドは定期的に畑のように掘り起こされて整備されるという。ローラーで押し固めるだけでなく、土を耕す作業が必要なのだそうだ。手間と時間をかけて土の中に柔らかい層を作るのはなぜか。どうして、著者はタイトルを「あめつちのうた」としたのか。本書を読んで、答えを知ってほしい。
 主人公はもどかしいほど、悩み多き青年だ。厳格な父親や才能あふれる弟との関係に苦悩している上、野球をあきらめた職場の先輩や同性愛者であることを明かした親友との関係にも迷い、苦しんでいる。しかし、その答えもグラウンドが教えてくれる。読後、甲子園名物のさわやかな浜風を思い出した。
(講談社・1760円)
1984年生まれ。元高校球児の作家。著書『白球アフロ』『野球部ひとり』など。

◆もう1冊

金沢健児著『阪神園芸 甲子園の神整備』(毎日新聞出版)

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