理由のない場所 イーユン・リー著

2020年7月26日 07時00分

◆亡き息子とリアルな対話
[評]江南亜美子(書評家・京都芸術大講師)

 北京生まれで大学卒業後、アメリカに移住、英語で小説を書くようになったイーユン・リーは、作品が世界的に高く評価される一方で、長年うつ病に苦しんできた。さらに十六歳の長男を自死によって亡くすという悲劇にも見舞われる。本書はその実体験を下敷きに紡がれた。作家にとって書くこととは何か。それが問い直された小説である。
 完璧主義者で聡明(そうめい)、すこし皮肉屋な十六歳。そんな息子のニコライが自ら命を絶ったあと、母親は脳内で彼との会話を続ける。回想でなく、いまの彼と語り続けるのだ。
 「あなたはもう落ち着いたの?」と問う母に、息子は答える。「いまは澄みきってる。混じりけなく完璧なんだ。望みどおりにね」
 こうした会話は、遺された者のせめてもの願望の表れともとれるが、彼は決して耳に心地のいいことばかり語るのでもない。「ママが頭よさげに話そうとするとむかつく」
 ときに手厳しい批判も混じる息子との対話は、死者が理解の及ばない「他者」として、あるいは大きな「謎」として、依然母親の内に存在することを示している。ケーキを作った少年期の思い出も、最後に別れた交差点の記憶も浮かんでは消えていくが、なぜ彼が独りで死を選んだのかの答えにはつながらない。安易な癒やしを否定し、空隙(くうげき)を埋めるように、母は生と死のあわいで問答を繰り返し、彼の好んだ詩篇を読み聞かせるのだ。
 話題は創作にも及ぶ。「ぼくを思い出すのに記念碑が必要?」。この対話はいつまでするのかと問い、フィクションで好きなように作ればいいじゃないかと言う息子に、母は諭すように語る。「フィクションはね、作り出すんじゃないの。ここで生きなければならないように、その中で生きなければならないの」
 死者との対話が虚構と明確に理解しつつ、作家として創作物を生むことで別のリアルを生き抜こうとする姿勢は、気高くも哀切だ。書くことで絶望を遠ざけ、永遠の喪失感に全身全霊で立ち向かう著者のすごみが、静かに伝わってくる一冊である。
(篠森ゆりこ訳、河出書房新社・2420円)
1972年生まれ。短編集『千年の祈り』でフランク・オコナー国際短篇賞などを受賞。

◆もう1冊

イーユン・リー著『独りでいるより優しくて』(河出書房新社)。篠森ゆりこ訳。

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