拡がる論考 未踏の高峰 『北米探偵小説論21』 作家・文芸評論家 野崎六助さん(72)

2020年7月25日 07時28分
 「登場する作家千百名余、言及される作品千四百作超」。これは、出来(でき)上がった拙著を紹介する一文。はて自分の本なのかと、あまり実感がわかないので困る。
 頁(ページ)数・重量・活字組。どれをとっても、今時は忌避される一・二キロの「三密」本だ。買ってくれた友人が「筋トレに最適なり」と感想をもらした。中身はまだ読んでいないのだろう。一般にはミステリと通称されるジャンルを探偵小説と表記した。文字数は同じでも、漢字である分、頁面の「ソーシャル・ディスタンス」を圧倒的に圧迫している。
 始まりはどこにでもある話だ。前の本『北米探偵小説論』から二十年になる。そこで改定新装版を出すことになった。新築ではなく改装・改築だ。それが書きはじめてみると――。まったく一新された内容になったのみならず、量的にも前著の三千枚を突破する結果になる。結果について、著者自身「謎だ!」と気取っているわけにもいかない。
 方法論はもちろん前著と同じだ。探偵小説を一般の文芸作品と共通する批評の尺度で測定すること。作者が作品を書いた意味について、個人的・社会的・歴史的な視野から広く考察すること。そのため普通には探偵小説と関連づけられない作品およびテーマにまで論考は拡(ひろ)がった。こうした評論の方向は、日本にも諸外国にも見当たらないので、もっぱら未踏の高峰に挑戦するような快楽があった。言及する作者ならびに作品は、平面図を描いてもわずらわしいから、なるべく絞ったつもりだが数えてみれば矢っ張り……。
 ここで著者の都合をいわせてもらえば、前著の初版から三十年が過ぎようとしていた。この三十年、世界はどう変わったのか。一九九〇年「喪(うしな)われた十年」のはじまり。以来、世界は「より善い社会」に向かう進路から少しずつ、あるいは、大幅に逸(そ)れていった。前著増補版(一九九八年刊)は、そうした劣化する世界の現状にあまりにささやかにしか向き合っていないと思えた。
 そして今。本は確かに出来上がった。しかし人びとが直面させられているのは出口の見えない「疫病蔓延(まんえん)」時代の到来なのかもしれない。想像力のとどかない未知の未来。本は刊行されたが、わたしのなかにはまた続篇(ぞくへん)の構想が渦巻き……。 =寄稿
 インスクリプト・九六八〇円。
<本書の主要登場人物> E・A・ポオ、エミール・ゾラ、ドストエフスキー、A・コナン・ドイル、ヴァルター・ベンヤミン、黒岩涙香、江戸川乱歩、久生十蘭(ひさおじゅうらん)、埴谷雄高(はにやゆたか)、ジャン・ジュネ、ダニエル・キイス、大藪春彦…(順不同)。
<のざき・ろくすけ> 1947年生まれ。84年、『幻視するバリケード 復員文学論』でデビュー。92年、『北米探偵小説論』で日本推理作家協会賞。

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