感染者試算「1万7000人」が「320人」に 破棄された2つの数字

2020年7月26日 06時00分
<検証・コロナ対策6>
 国際オリンピック委員会(IOC)がまだ、東京五輪・パラリンピックの開催方針を示していた3月17日。厚生労働省のクラスター(感染者集団)対策班に参加する東北大教授の押谷仁(61)は、東京都内の感染情報が集まる新宿区の都健康安全研究センターを訪ねた。新型コロナウイルスに感染した欧米からの帰国者が増えつつあり、危機感を強めていた。

「重大局面」にあるとして外出自粛などを呼び掛ける東京都の小池百合子知事=3月25日、東京都庁で

◆信じ難い数字に都「再試算を」

 「参考です」と2枚の紙を差し出す押谷。所長の吉村和久らは「1万7000人」の数字が目に入った。都内の新規感染者数は1日10人前後だったが、このままでは2週間後からの7日間でそこまで増える、という試算だった。押谷は「早いうちに手を打たないと大変なことになる」と訴えた。
 吉村は信じ難いと思った。同席した担当部長の吉田道彦は「詳しいデータを渡すので再試算してください」と求める。2日後、押谷から「3000人」との新たな試算がメールで届く。5分の1以下に減ったが、それでも危機的な数字に変わりはなかった。

◆新たに「3000人」試算、念押すと…

 試算の根拠があいまいだった場合、病床確保などで現場の負担が増す。「多い数字は対策上、好ましくない」と考えた吉田は「これで大丈夫ですか」と何度も念を押す。21日、押谷から最終的に届いた数字は「320人」に減っていた。
 吉田は3つの試算を知事の小池百合子(68)に報告。小池は23日に「320人」だけを公表する。一転して、小池が強い危機感を訴えるのは25日。五輪の延期が決まった翌日だった。

◆大阪府はすぐ対応

 厚生労働省のクラスター(感染者集団)対策班に参加する東北大教授の押谷仁(61)が、「1万7000人」との感染予測文書を東京都に提供した翌日の3月18日。対策班は、大阪府にも予測文書を示した。
 何も対策を打たないと、大阪府、兵庫県の全域で感染者は3374人に増える、という内容だ。20日からの3連休を前に、府知事の吉村洋文(45)は危機感を強め、すぐに対応する。19日に「大阪、兵庫間の不要不急の往来を控えてほしい」と呼び掛け、翌日に予測文書を公表する。
 吉村が往来自粛を呼び掛けた19日、押谷は感染予測の新たな試算として、都に「3000人」をメールで送る。この日、政府専門家会議副座長の尾身茂(71)は、東京や大阪などの大都市で「オーバーシュート(爆発的な感染拡大)を伴う大規模な流行につながりかねない」と表明していた。
 押谷は都担当部長の吉田道彦から予測の正確性を何度も念押しされ、21日に「320人」との最終予測を示す。3種類とも報告を受けた都知事の小池百合子(68)は、数字の開きに「えーっ」と驚いた。
 3連休明けの23日、小池は320人の数字だけを公表する。

◆五輪中止の阻止が重要課題

 東京五輪・パラリンピックの準備を続けてきた都にとって、中止の阻止は重要課題だった。一方で、欧州を中心に感染は拡大。開催の旗を降ろさない国際オリンピック委員会(IOC)の方針に、海外の選手らから「健康を脅かしたいのか」「無神経で無責任」と批判も出ていた。
 3種類の予測は都庁内で議論される。都幹部らは、感染情報に過敏な小池の様子をそばで見ていた。東京で感染が拡大すれば、さらに大きな問題となるが、1つだけを信じると外れた場合のリスクが大きい。「感染者数の推移をみて判断する」。それが小池ら都幹部の共通認識になる。

◆五輪延期決定で対策の前面に

 24日、五輪の延期が決まる。翌日、都内の新規感染者数は41人と、前日の17人から倍以上に増えた。「延期」と「倍増」は小池の背中を押すのに十分だった。「私が会見する」と対策の前面に出る。
 25日夜の緊急会見では「感染爆発 重大局面」のボードを掲げてみせた。週末・夜間の外出自粛や在宅勤務も訴える。「手をよく洗ってください」と呼び掛けた1週間前とは、まるで切迫感が違っていた。
 「五輪の延期が決まるまでは『感染爆発』なんて言葉を使うのは難しかった。明らかにフェーズ(局面)が変わった」。都幹部はそう思った。
 自粛を強く呼び掛けるなどの対策後、都内の新規感染者数は4月2~8日の7日間で777人となった。「対策を取らなければ320人」という試算は、結果的に過小な数字だったとみられる。
 ほかの2つの試算は、都が「誤ったデータだ」などとして廃棄したことが、後に本紙の報道で判明する。報道後、小池は廃棄した試算を取り寄せて公表すると表明した。(敬称略、肩書は当時)

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